見出し画像

亀の歩み稽古日記~抜ける眼差し・物質化について

いつも稽古の始まりと終わりに行なうことがある。それは、「光へ」 「あなたへ」「わたしに」「大地へ」という4つの方向の呼吸。息を吸って光へ、吐いてあなたへ、吸ってわたしに、吐いて大地へ。
動きはとてもシンプルだけれど、意識を本当にその様に動かすことが大切だ。 ( 因みに、「あなたへ」の時の由良部師の顔は、シシガミ様みたいやな…と私は思っている… )

前回から行なっている、「水と空気と光と物質」。

ところで「物質」の捉え方が独特だなと思う。動きが微細になって微細になって、もうこれ以上は微細になれない…!となっていくと、動きが抜ける。すると動きの向こう側というか、奥行きというか、そういうものが現れる。動きが抜けた状態で、内も外もなくなったカラダ。それを「物質」と呼んでいるのだ。

抜ける、についてもう少し。
上下、天と地を繋ぐ動きの稽古の時、カラダを通って、更に通り抜けて、大地へ天へと抜けるのだが、何が抜けるかと言うと、眼差しが抜けるのだという。いわゆる私の眼差しではなく、遍在する眼差しが。

… 遍在する眼差しのこと、今度もう少し詳しく聞いてみよう。

抜けると動きが変わってくる。どんな風に変わる?
… それは「出会う」んじゃないか、と。抜けた世界で新たな出会いが起こる。その出会いと共にまたカラダに戻ってくる。素敵だな。。私は、抜けることによって、物語が新しくなる感じがした。連なる流れを新たに創造する力。

では更に、上下ではない方向に抜けると、どんな感じになるか。動きが微細に微細になって、抜けていくのはどんな感じ…?

まだ探している最中だけど、動きが、眼差しが抜けると、私のカラダも抜けた先に同化していくように広がり、透明度が増していくように感じた。たしかにそこには、内や外という境界が曖昧になっていくような、、そこは物質の世界なんだろうか。。。つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?