見出し画像

『風の十二方位』読書感想。


ゲド戦記を書いたアーシュラ・K・ル・グィンの短編集。

頭から尻尾の先まで人生が詰まっている。



独りよがりの善意が幸福を運んでくることはなく、

他者との関わりには反転する光と闇のように喜びと苦痛が伴う。


選択肢は知識さえあればいくらでも見出すことができるけれど、その選択の正しさは未来が教えてくれるものではない。

強い愛情は相手だけでなく自分の心も癒し、

他者と対することで1人では経験できない痛みを知り、痛みが世界を広げていく。

日々綻んでいく自分と言う存在に疑問を抱き、深い森へ潜り真実を探し求める。

理解できない他者の苦しみを想像し、救いの手を差し伸べる。

強烈な何かに魅せられて、今までいた世界が色褪せて見える。

いつか、見て見ぬふりをしている自分と対峙しなければならない日がくる。

身体が醜く老いさらばえ、分かり合える者もなく、縋るものは何もないように思えたときにこそ、いつも寄り添っていてくれたものの存在に気づくことができる。孤独という感情さえちっぽけに思えてくるような大いなる存在に身を委ね、永遠の眠りへと導かれる時を待つ。



「セムリの首飾り」
“人のためは自分のため“
教訓が強烈。


「四月は巴里」
孤独なルノワールの魔術により召喚された“孤独“だけが共通点の多種多様な人間たち。
言語も人種も時代さえ違っていても人は寄り添い分かり合える。
多様性の理想的な形が見えて来る。


「マスターズ」
秩序の型にハマれないのならそこにいなければいけない理由はない。
枠からはみ出る時は常に痛みが伴う。


「解放の呪文」
苦痛のループから逃れるための“解放の呪文“。
“自殺は逃げること“
という強者の思想に一石を投じる。


「暗闇の箱」
闇があるから光がある。
太陽のない鈍く明るい昼が続く世界。
暗闇の箱を開けたことで閉じ込められていた夜が再来する。
コロナ禍の今だからこそ感じる日常の尊さ。
非日常だけが日常の輪郭を際立たせてくれる。


「名前の掟」
ヘタレに見えた男が隠し持っていた意外な本性とは?
意外な奴がイケメンだったり、冷徹な雰囲気があったりしない所が良い。
終わりも含めて好きなタイプのお話。


「冬の王」
既存の選択肢に囚われない王の判断により、子息が被った災難。
自分を置き去りにした親への屈折した感情が後の恐怖政治へと繋がっていく。
ラスト、冒頭に提示される一枚の凄惨な絵画の秘密が解き明かされる。


「グッド・トリップ」
会えない誰かに会いたいときはその人を強く思えばいい。強い思いが魅せてくれるビジョンは薬のそれと比ではない。

「9つのいのち」
開発地域に男女5名ずつからなる10人のクローン共同体がやってきた。
優秀な遺伝子を持つ彼らは仕事でもセックスでも自らの共同体の中でこなす超人類だった。
しかし、ある事故をきっかけにカウ一人を残して全て死んでしまう。
9割の自我の喪失に心が壊れかけるカウ。
我に帰った時彼は自己以外の存在を初めて認識することになる。

閉ざされたユートピアから荒野に投げ出されたカウはこれから先、自己完結で収まらない鈍く長引く痛みに耐えなければならないことだろう。
しかし、自分と対峙しているだけでは見つけられないことを知ることは彼の世界を広げる手助けとなる。

自我の目覚め、他者との対峙。
大人になるための階段を登る瞬間を垣間見る一遍。

「もの」
他者から押し付けられた選択肢に隷属しない勇気が未来を切り開く。


「記憶への旅」
自己との対話。
日々綻んでいく記憶とそれに伴う自我を必死にかき集める主人公の姿は人間の本能に通底する精神世界そのもの。
“名無しの虎が焼けた森“
ウィリアム・ブレイクの詩“虎よ“のイメージと相まってゾクゾクする。
内的世界にある未知への冒険譚序章。

今気づいたけど、この短編集、リスタートを暗示する終わり方のものばかりだな。


「帝国よりも大きくゆるやかに」
テレパスのオスデンは特異なルックスにより人から憎悪を受け続けた結果、鬱屈した人格を形成していた。
宇宙探査船のクルーとして、他の乗員9人に敵対する
彼の心の一端を知ったトミコ。
彼はテレパス、彼の敵対反応は彼に対する自分たちの心を反映していたのだった。
隠しきれない憎悪を抱きながらも彼の苦悩に同情するトミコ。
彼を救ってくれたのは思いがけないものだった。


「地底の星」
夜空に宝物を見つけられる人は地の底についても同じことができる。
置かれた場所に惑わされず腐らないグエンナールの精神力に勇気を貰えた。

「視野」
火星探査後、何らかが引き金となりそれぞれ視野と聴覚を汚染されたヒューズ博士とテムスキー大尉。
閉ざされた感覚器官から今まで捉えられなかった超越した存在を見聞きするようになる。
内側から響き渡る宇宙の真理に魅せられた彼らは洗脳されているのか?それともこの真理は本当に素晴らしいものなのか?
宗教を持っていないので、この辺の感覚はよくわからない。
なので洗脳に思えて拒否反応も出てしまうのだけれど、一方でこれくらい盲目になってみたいという憧れもある。
視野は広ければ良いというものでもない。


「相対性」
もし自分が見ている世界が他者による介在により見せらているビジョンであったなら。。
遠近法で遠くに見えていると思っていた木々が本当は意思を持ち伸び縮みしていたならば。。
頭の中がごっちゃりしたけど、
日常を疑い異世界への扉を開くストレッチになるような新鮮な小説。
死に介入する者にいちいち神的な不滅の存在を見出す人間たちへの皮肉も効いていて面白かった。

「オメラスから歩み去る人々」
1人の弱者が不幸を背負いこむことで他の人間の幸福が約束される世界。
見て見ぬふりをして幸福を享受するか、柵から抜け出して新たな選択肢を探す旅に出るのか。
こうゆう時代だからこそ、決断しなければならないのかもしれない。

「革命前夜」
世界革命の口火を切った亡き指導者タヴェリのパートナー・ライアの老後を描いたお話。
1番心に響いた掌編だった。
身も心も老いさらばえながらも、悟りが開ける訳ではなく、未来ある若者と自分との差異が産む畏敬の念と嫉妬心に溺れる日々。
過去が築いた館に居場所はなく、故郷である薄汚いスラム街に安息を覚える。
醜悪な街は醜く老いさらばえた自分を晒し者にはしないから。
「私はだれ?」
「タヴェリを愛した者」
記憶の旋風が身を包み、荒んだ心を浄化する。
味のしないガムを噛み締めるように過ぎてゆく日々の中、あの日と変わらず側にい続けてくれた白い花の咲く雑草の存在が目端に過ぎる。
名も知らない花を求めて、彼女は辿々しく歩み続ける。

年齢と過去が自分を崇めることに違和感を持ち、身体と心の距離が広がり寄る辺ない不安を覚える彼女の気持ちに共感する。
人生の終わり、救いのないように見えるときだからこそ陰ながら支えてくれていたものの存在に気づくことができる。
鈍くなる感覚、衰えた視野だからこそ出会える何かがある。
老いることの悲しみと希望、相反する要素を抱腹する素晴らしい一篇だった。




この記事が参加している募集

#人生を変えた一冊

7,948件

#わたしの本棚

18,149件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?