笠松 ゆみ

住所:東京都 趣味:物書き、麻雀、ダンス 職業:フリーランス 出身:福井県 刊行した…

笠松 ゆみ

住所:東京都 趣味:物書き、麻雀、ダンス 職業:フリーランス 出身:福井県 刊行した出版社:双葉社、幻冬社、ポプラ社、白夜書房、宙出版、日経実業出版社、東洋経済新報社  執筆した雑誌等:週刊女性、アサヒ芸能、週刊実話、東スポ、FLASH 江戸川乱歩賞一次通過(しょぼい)

マガジン

  • 60歳で整形しましたが何か?

    なんと! 還暦のBBAでありながら、二重全切開手術を致しました。 手術に至るきっかけや、手術中の細かい描写、ダウンタイムのしんどさ、念願の二重を手に入れた気持ちなど綴っています。 整形を考えているすべての方におすすめです。

  • 書くことは生きること

    書くことは私にとって生きることです。 これまで二人の息子を抱えてシングルマザーとして生きてきました。 時には仕事を失い、幾度もの苦境に立たされました。 そんなピンチを救ってくれたのは「書く」という単純な行為でした。 書くことでお金を得て、二人の息子を育て成人させることができました。 どうしてそのような筆力が身に付いたのでしょうか。 原点を考えると小学一年生の時の母の厳しい添削にたどり着きました。 その作文を全文公開し、現在に至るまでの執筆歴をまとめてみました。 これから作家を目指す人、フリーライターとして活躍したい人にぜひ読んでいただきたいと思います。

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あきらめてしまった私

 2005年1月、ポプラ社より『それでも私はあきらめない』という自叙伝を刊行した。書店でディレクターの目に留まり、“吉田照美のやる気MANMAN”(文化放送)に出演した。 この本はすでに絶版になっているので、内容をかいつまんで紹介する。 第一章 『それでも私はあきらめない』 23歳で大企業に勤める夫と結婚した。二児に恵まれて千葉県佐倉市に一戸建てを購入した。傍目には経済的になんの心配もない幸せな奥さんだった。  しかし、私の心は結婚直後から病んでいた。子離れできない姑から執

有料
300
    • 60歳で整形しましたが何か? その6(最終回)

      抜糸はまったく痛みなし  術後3日目までは痛みが強く、ずっと目を冷やしていました。仕事や家事をする気にもなれず、ほぼ横になっていました。  ようやく痛みが治まってきた1週間後、抜糸の日がやって来ました。これまで虫垂炎、人工股関節置換施術の経験があり、抜糸の痛みは経験しています。まあ、どんな痛みも出産に比べれば大したことはありません。痛みなんて怖くない、縫合した傷跡が引きつった感じがするので早く抜糸をしてもらいたい……そんな気持ちでクリニックに向かいました。  クリニックに到

      • 60歳で整形しましたが何か? その5

        ホテルまで一目散に歩く  時刻は午後2時。JR船橋駅前は多くの人が行き交っています。昼間なので茶色いサングラスとマスクで顔を覆っていても誰も見向きもしません。何針も縫う二重全切開手術をしたなんて誰にもばれません。さすがに全身麻酔のダメージは大きく、足元がふらつきます。それと同時に空腹感に襲われました。喉もカラカラです。でも早くこの喧噪から逃れ、一人きりになりたい。食料と飲料は昨日のうちに仕入れてあります。ホテルに向かって一目散に歩きます。  12分くらいかかり、ようやくおん

        • 60歳で整形しましたが何か? その4

          手術までの鮮やかな手順  番号を呼ばれ、全身ピンク色のナース服をまとった女性の後ろを付いて行きます。狭い廊下の奥は洗面所になっていました。 「ここで洗顔をしてくださいね」 と柔らかいタオルを渡してくれます。洗面台は高級ホテルのように立派で5つ並んでいます。少し離れた洗面台で手術着の人がこれでもかというくらい丁寧に洗顔をしています。ふだんは適当に洗う私もそれを真似て、泡をたくさんつけて丁寧に洗います。タオルで丁寧に拭き取っていると、さきほどの看護師が迎えに来てくれました。目だ

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        あきらめてしまった私

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        • 60歳で整形しましたが何か?
          6本
        • 書くことは生きること
          18本

        記事

          60歳で整形しましたが何か? その3

          前乗りしてホテルにチェックイン  手術日は同居している彼氏が大阪に出張している時に決めました。グロい姿を見せたくない。痛みで苦しんでいる姿を見せたくない。そう思って彼がいない日時を選びました。彼氏も留守だし、どうせ外に出られないのであればホテルに缶詰めになりダウンタイムを過ごそうと思いました。ダウンタイムとは、手術を受けてから腫れや内出血が収まる期間のことを指します。駅から少し離れているものの、格安のホテルを見つけ、3連泊で予約しました。  JR船橋駅に到着すると、駅前はす

          60歳で整形しましたが何か? その3

          60歳で整形しましたが何か? その2

          大盛況の美容外科クリニック    息子の後押しもあって大手美容整形クリニックに予約をすることになりました。千葉県船橋市にあるクリニックは満員盛況のようで、予約するのに一週間待ちとのこと。ドキドキしながらその日を待ちました。  予約当日になりました。クリニックは船橋駅から徒歩2分の雑居ビルの中にありました。居酒屋が一軒あるほかはすべて美容整形外科が入っているというザ・整形ビルディング。本当に時代は変わりましたね。昔は隠れ家のような場所でひっそりと営業していたものです。  エ

          60歳で整形しましたが何か? その2

          60歳で整形しましたが何か? その1

          この連載はグロい画像が含まれています。ご了承ください。 整形を決意した一言  半年前、彼氏と旅行に出かけました。箱根登山鉄道に乗り、“風祭”という駅に降り立ちました。久しぶりに会う姉と合流し、バイキングを楽しみました。姉が席をはずしていたその時です。 「なんか目付き悪いね。すごく意地悪に見えるよ」  毎日ラブラブの彼氏にそう言われたのです。ショックで倒れそうになりました。だって私が意地悪な性格ではないと誰よりも知っている彼氏から言われたんですから。  毎日、鏡を見ています

          60歳で整形しましたが何か? その1

          書くことは生きること その18(最終回)

          私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。 じりじりと結果を待つ日々 郵便で原稿を送った時はわが子を巣立させるような気持ちになった。行先は講談社。これまで数冊の本を出版してきたが、ついぞご縁が無かった出版社だ。一度だけ訪問してフライデー編集長と会話したことがあるだけだ。  一月末日の締め切り間際に郵送して、待つこと4カ月。一日も巣立

          書くことは生きること その18(最終回)

          書くことは生きること その17

          私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。 冒頭はショッキングに 初めてトライするミステリー小説の冒頭はショッキングなシーンを選んだ。映画やドラマを観るとき、第一話で観客を引き寄せることができるかどうかが勝負だ。最後まで読んでもらうためにも、冒頭部分は過激なシーンから始めることにした。  登場人物は全員悪人である。冒頭で認知症の母親

          書くことは生きること その17

          書くことは生きること その16

          私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。 ミステリー小説に挑戦! 前記のように私は本を読まないヘボ作家だ。付け焼刃のごとく有名作家先生の本を読み漁った。最初から最後まで一気に読ませる作家もいれば、途中でリタイヤしてしまう作家もいた。私の目標は、へたくそでも最後まで一気に読んでもらえる作品を書くことだ。そして読んだ後、少しの時間でいい

          書くことは生きること その16

          書くことは生きること その15

          私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。 宙を舞うように文章を書く 私は双極性障害という精神疾患を持っている。昔でいうところの躁うつ病である。躁状態のときには寝なくても食べなくても何時間も一つのことに打ち込むことができる。前出だが『それでも私はあきらめない』を書いたときがまさしくこの状態だった。ある社長に提供いただいたレンタルオフィ

          書くことは生きること その15

          海に溺れる馬

          第一章 イチローの脱走  入居者のイチローがいなくなったことに、いち早く気付いたのは、介護士のリーダーである石川直樹だった。介護業界に身を置いて十年というベテランだ。  昼食の準備が終った時にイチローこと松田一郎は、定位置であるテレビの前に確かに座っていた。いつものようにピンと背筋を伸ばして回りの人たちと一言も口をきくことはなかった。それから派遣の新人、といっても介護福祉士の資格を持つ四十八歳の芦田祐子に食事前の口腔体操を任せ、全員の排泄介助に入った。排泄介助は新人にはまだ難

          海に溺れる馬

          ハグの力~子育てに悩むあなたへ~5

           この連載はシングルマザーとして2人の息子を育て上げた筆者が、今、まさに子育ての渦中で悩んでいる方へ送るメッセージです。  この世に生まれてきて、歩くこともできなかった赤ちゃん。なのにたった6年で小学生になります。ほんの少しの間でも、離れて過ごすことが嬉しくもあり、寂しくもあり、複雑な気持ちですよね。  まずはここまで大きな事故もなく、事件にも巻き込まれず育ててきた自分を褒めてあげましょう。  小学生の間に子ども達とどう接するか。『三つ子の魂百まで』と言いますが、私は小

          ハグの力~子育てに悩むあなたへ~5

          『人生の楽園』都会版その5

           この連載は、テレビ朝日“人生の楽園”のような田舎に憧れながらも、コンビニのある都会でしか生きられないシニアカップルのお話です。  4月9日大安吉日、私たちは法務局へ出かけました。法務局というとスーツ姿の士業の方がテキパキと動いている印象でしたが、私たちの他に誰もいませんでした。  一発で終わる予定が不足している書類があって自宅にUターン。もう一度、法務局に戻り手続きをしました。予定では19日には登記完了とのこと。ひとまず休憩と相成りました。  その間に彼にはやってもら

          『人生の楽園』都会版その5

          ハグの力~子育てに悩むあなたへ~4

           この連載はシングルマザーとして2人の息子を育て上げた筆者が、今、まさに子育ての渦中で悩んでいる方へ送るメッセージです。  4歳から小学校に入るまでの時期についてお話します。振り返ってみると、この期間が一番、子供に楽しませてもらったなと思います。  週末には水族館や動物園、それに遊園地にもたくさん行きました。牧場へ行って動物と戯れたりもしました。  子供の頃に行けなかったところへ、子供を産んだからこそ行けたのです。普段の狭い空間から外へ出ると、子供たちも生き生きとした表

          ハグの力~子育てに悩むあなたへ~4

          書くことは生きること その14

           私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。 シングルマザーの悲哀  初めて書いた小説が大手出版社から単行本として発売され、Vシネマ化された。ひとり暮らしならば、このペースで十分だが、私はシングルマザーで、食べ盛りの息子2人を扶養している。長男は高校に進学し、年子の二男は全国大会に出場した駅伝部のある高校に入りたいという。共に私立高校

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