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書くことは生きること その18(最終回)

私には何の才能もない。ただこれまで何かを書くことでピンチをすり抜け、生きてきた。誰にでもできる書くという作業が私にとっては生きることなのだ。『書くことは生きること』の実体験を連載する。

じりじりと結果を待つ日々

 郵便で原稿を送った時はわが子を巣立させるような気持ちになった。行先は講談社。これまで数冊の本を出版してきたが、ついぞご縁が無かった出版社だ。一度だけ訪問してフライデー編集長と会話したことがあるだけだ。

 一月末日の締め切り間際に郵送して、待つこと4カ月。一日も巣立った子供のことは忘れる日がなかった。そのくらい作品に対して愛情が湧いていた。そんな時、ネットで小説講座なるものを見つけた。生徒数はわからないが、全員で江戸川乱歩賞に応募するという。先生の添削のもと、何度も推敲して仕上げるのであれば、さぞやいい作品となるのだろう。対して私は誰の指導も受けずに一気に書き上げてしまった。校正も自分で行ったので、誤字脱字もつぶしきれなかったに違いない。でも作品の面白さだけは自信があった。ミステリーと呼ぶには派手なトリックもないが、映像化できるような娯楽作品として仕上がった……と思う。

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いよいよ発表!

 ついに発表の時が来た。今年、68回の応募要項を見ると、一次審査からWeb発表らしいが、私が応募した63回はまだ小説現代の誌面上のみの発表だった。発売日に書店に行き文芸誌が並ぶコーナーへ行く。平積みになった小説現代を手に取る。表紙には“江戸川乱歩賞一次、二次通過発表”と大きく書いてある。おそるおそるページをめくる。大きな見出しとともに名前と作品名が書いてある。あった! 二次審査に残った人は太字で書かれているので、残念ながらここで落選となることも同時にわかってしまったが、それでも一次審査に通過したことが嬉しくて小走りにレジへと向かった。初めて書いた長編小説で、しかも伝統ある江戸川乱歩賞で一次通過できたことは、文字を生業としてきた私にとって十分すぎるご褒美だった。

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        ↑ 右ページ下段〇が付いている箇所

未来の自分へのギフト

 過去、立て続けに大手出版社から本を刊行してきた私だが、もうそんな時代は終わっている。現在はネットで活動している。“みさお文庫”というレーベルを自分で作り、その所属作家として複数のネット書店より販売している。ジャンルによってペンネームを変えているが、一人きりでできる仕事として楽しんでいる。やはり一番の収入となるのはAmazonキンドルだ。今は簡単になっているかもしれないが、私が立ち上げた時は、アメリカとのやりとりに非常に苦労した。FAXで国税局と何度かやりとりした記憶がある。直接買っていただくのが一番実入りがいいのだが、Amazonプライム会員に無料で読んでもらう設定にすると、その回数によりロイヤリティが入る。通帳に“インド”などと印字される月もあり、その仕組みは今も理解することができない。けれども確実に一日500人もの購読者がいてくれて感謝に耐えない。もう一つの収入源はネット小説の印税である。10年前くらいに書いた小説がまだ売れているようで、年に一度、わずかではあるが振込が続いている。

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書くことは生きること

 歌手などのアーティストに比べて、作家業は地味である。ファンが総立ちで応援してくれるわけでもなく、大きな収入を得られるわけでもない。また、私自身、大きな賞を取ったわけでもなく、有名でもない。けれども過去、何度もピンチを救ってくれたのはこの書くという作業だったのだ。ある知り合いが勇気づけてくれた言葉がある。

「書くことなんて誰にでもできるけど、それをお金に変える力があるのはほんのわずか。そのわずかな人があなたなんだよ。それを忘れずに」

 人生、あっという間に過ぎていく。この連載を書いている間に還暦を迎えた。これからも書くということを続けていく。それは未来へ向けての自分へのギフトとなるのだ。毎月少しずつでも収入になり、将来への不安を拭う糧となるのだ。この連載が、フリーライター、作家を目指す人の参考になればこの上ない幸せだ。書くことは生きることなんだから、今日も書くしかないでしょ!

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