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合唱

いつもありがとうございます🐕✨

cluster内でXのフォロワー様のワールド探索イベントがあり、私も途中からでしたが参加させて頂きました。

私はここで解散しましたが他にも魅力的なワールドを探索してきました。

集合場所は「ピッコロ」という木管楽器を演奏される方のワールドで「旅立ちの日に」の演奏を鑑賞しました。
※ちなみに写真のワールドは別の方のワールドです🙇💦


話しは過去にさかのぼります。
私の記事を見てきた人はご存じだと思いますが、私の通っていた頃の中学校は荒れていました。

⇩過去の記事に書き残していますのでよろしければご覧ください⇩

そんな荒れ果てた中学校でも「合唱」には力を入れていたんですよね。

特に卒業式「巣立ちの歌」が一つ上の学年まで定番だったのですが私達の世代から

「旅立ちの日に」が定番になりました

当時の音楽の先生は「絶対に次の卒業式の歌はこの曲が主流になる!」と断言していたほどでした。

少し冷めた考えになりますが、そうゆう通達があったのかもしれません。

旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991年埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である[1]作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)による。編曲は、松井孝夫[注 1]他、複数の作曲家によるものがあり、原曲および混声三部版・混声四部版は変ロ長調、同声二部・同声三部版はハ長調または変ロ長調である。2000年代以降、卒業ソングの定番として認知されている。[2]

Wikipedia

テノールの部分ですが今でも憶えています。

通常の授業を音楽の時間に変更するほど、何故か気合いを入れていましたからね。あまり思い出したくない記憶ですが「合唱」に関しては別なんです。

普段わいわい騒いでる人たち、そうでない人達。

私達の世代では当たり前かもしれませんが、全員体育館にかき集められ半ば強引に歌をうたわされる事になります。

そして徐々に全員の声が一つに集まり共鳴する体育館の様子は当時でも圧巻でした。

色々な感情もあり、もう行きたくない学校にもかかわらず卒業式では自然と涙が出ました。

卒業式での最初で最後の涙です。

バンッ!と背中を叩かれ「何泣いてるんだよ!!」と珍しく不良グループが声をかけてきましたが、背中にガムテープを貼られただけでした。

しかしその不良グループの中にも「おい!やめろ」とガムテープを剥がしてくれた人もいたのです。

「〇〇、つらいよなぁ」

さいごの最後でその言葉は「逆に辛いわ」と当時は涙しました。


卒業式という特別な時間も関係していると思いますが、何よりも「合唱」

荒れ果てた学校ながらも、文化祭の合唱コンクールは地元の方々も楽しみにしていたようで毎年、満員御礼でした。

なかには合唱の授業が嫌いな人もいたと思いますし、全てを肯定する訳ではありませんが「歌をうたう事で人の心を動かし一つになれる」事を私は体感しました。

順位をつける事にそれ程に価値はなく、一つの歌をクラスで完成させる工程つまりコミュニケーションが一番価値のあるものでした。

それは自分の好き嫌い問わず、話したことのない人とも話しあい納得のいくものを仕上げていく。

そもそも合唱が出来るほど学校には学生さんはいないかもしれません。
そして国籍の異なる学生さんとも会話をしているかもしれません。
おまけにコロナ禍の3年間でまったく会話すら出来なかった人もいると思います。

歌の力は凄いです、合唱の力はもっと凄いんです


「旅立ちの日に」をご存じのお父さんお母さんの皆様、是非お子さんに聞かせてあげてください。その他にも素敵な合唱曲は沢山あります。

卒業式で歌う事になったら一緒に歌ってあげてください。

その時の記憶は一生物です

再び合唱曲を歌う機会があれば人の心を動かすような物を作り上げてみたいです。

忙しい時期かと思いますが、くれぐれも体調にはお気をつけてお過ごしください。

それでは


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