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近世百物語・第四十七夜「水の話」

 もう秋だと言うのに毎日が真夏のような気温です。熱い日は水の事故が多くなるので注意したいものです。
 私はかなりの確率で雨男です。だからと言って、いつも雨が降っていると言う訳ではありません。ですが、重要な時はいつでも雨が降っています。また、祈りなどの儀式を行った後はほとんど雨です。
 高山病で死にかけた時は、インドの乾季の季節に土砂降りのスコールに見舞われたこともありました。それも、外出しようとする度に雨が降るのです。
 地元のインフォメーションで雨についてたずねると、
「大丈夫、いつか止むよ」
 とのこと。
 傘の売り場を聞くと、
「傘は、そんなの差さないから……」
 と言って、みんな雨が止むのを待っている様子。
「水溜まりに足を入れて怪我をすると、破傷風になるから注意して」
 と言われ、泥水が怖くなりました。

 そう言えば、一度、本物の雨女としか言いようのない老婆を見たことがあります。そのお婆さんは晴れた日に傘を差していました。
——なぜ傘を差して?
 と思って見ていると、雨が傘に当たる音が聴こえてくるではありませんか。不思議に思って見ていると、お婆さんの差す傘の上だけに雨が降っています。歩きだすと雨も一緒についてゆきます。他のところは晴れていて、お婆さんの上にだけ小さな雲と降り注ぐ雨。
 その時、
——これこそ雨女と言うものだ。
 と思いました。

 さて、子供の頃、祖母の家に井戸がありました。その頃でもかなり古い井戸でした。色々とそれにまつわる話を聞いて育ちました。
 人が死んだ時、

——井戸の奥に向って死んだ人の名を叫ぶとその人が生き返る。

 と言う迷信があります。〈魂呼たまよばい〉と言います。昔は一般的に信じられていたようで、黒澤映画の中にも描写したシーンを見たことがあります。
 曾祖父が死んだ時、祖母たちが井戸の奥に向って何かを叫んでいた記憶があります。ですが、まだ幼い頃だったので、曽祖父の名を呼んでいだのか、それとも違うのか、記憶は定かではありません。

 子供の頃、川で溺れたことも何度かあります。そのいずれも悪意を持った知人に突き落とされたのです。水中で暗い川底から見る水面は、ゆらゆらしたスローモーションのような感覚がありました。そして必死で水面に上ろうともがく時、いつでも足をつかむ何本かの白い手が暗い水の底でうごめいていました。川や沼、池、湖と言った水辺の底はあの世のどこかとつながっているそうです。では正確に、どの世界と接続しているのと聞かれても、明確に答えることは出来ません。ですが、どこか得体の知れない怖ろしい世界の入り口であることだけは確かなようです。

——盆は地獄の釜のふたが開く。

 と、祖母は伝えてくれました。この地獄の釜とは、水の底を意味しています。様々な水の底が、様々な地獄の釜とみなされます。
 ですから、

——盆には海や川には入るな。

 と、注意を受けるのですし、そのような様々な迷信が形を変えて伝わっているのです。

——地に留まりたるものは、水の底に集い、生きる者の命を奪わんとす。

 と言う言葉も伝わっています。
 古くは、

——こんは天に昇り、はくは地に留まる。

 とも伝わります。
 人のたましいの内、はくと呼ばれるものが、水の底から人の足をつかむと伝わります。人の魂を、古くは魂魄こんぱくと呼びました。こんはくは別なもので、この魄と呼ばれるものが〈鬼〉と呼ばれました。
 水の中に集まる霊的なものを、古来は〈水魄すいはく〉または〈水鬼すいき〉と呼んでいました。水魄については『不幸のすべて』第五十一話にも書いてあります。詳しくは、そちらも参考にしてください。
 水鬼は水の気とも書きます。水には様々な力があると信じられていますが、その物理特性には現代でも謎な部分が多いです。しかし、すべての水の気が鬼を含んでいるものではありません。
 神聖な場所に行く時は水を持って行きます。場所の気が水を変化させ、水そのものを神聖なものにします。そして神聖化した水を飲むことで、肉体が穢れた時、穢れを祓うことが出来るのです。また、水に含まれた記憶が細胞の隅々に残るそうです。
 穢れた水の多くは、生暖かくよどんでいます。穢れた水の中には魄が集い、人を溺れさせるのです。霊的な白い手が出て来るのも、すべて穢れた水に限られてのことです。
 霊的なすべての存在は物理的なものではありません。ですので、亡霊が実在するかどうかを考えることには無理があります。物理的な存在ではないものを、物理的に観察し証明することなど出来はしないのです。
 霊的なものは、人の心が認識する世界の存在に過ぎず、現実に様々な影響を及ぼしはしますが、けして、物理世界の現象ではありません。
 あるテレビ番組で、
「磁気が脳に影響を及ぼし、亡霊の幻覚を見せるのだ」
 と言っていました。
 では、
「磁石を頭につけると亡霊を見るのか?」
 と、素朴な疑問が頭をよぎります。地上に広がる磁気など、頭に直接つけた場合より、ずっと薄いのです。医療機械で磁気を使う物の中に入ったら亡霊が見えるとでも言うのでしょうか? 何度か入ったこともありますが、見たりはしませんでした。見えたら良いのになぁと思いました。
 亡霊と呼ばれる次元の異なるものを、科学的に証明しようとして様々な研究がなされているようです。
 果たして結論は出たのでしょうか?
 亡霊は、人の心の中に住んでいるのでしょうか?
 あの世や地獄や極楽はどこにあると言うのでしょう?
 すべては人の心の中にある幻想に過ぎないのでしょうか?
 現実も、人の心が認識し構築する世界に過ぎないのです。単に認識しているだけの現実ではない世界を、科学で証明しようとすることには無理があります。
 自分自身の存在も含めて、すべては現実であり、また幻想のようなものです。だとしたら、自分の現実は自分で造ってゆく必要があると思うのみです。

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