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近世百物語・第五十七夜「目をそむける人々」

 何年も前のことになります。大阪の福島駅構内で昼間に幽霊を見ました。私は友人と改札を出て、ふと、妙なことに気づきました。改札前を歩く人々が、ある場所を避けるように流れていたのです。かなり混雑した時間帯にもかかわらず、すべての人がある一箇所を見ないように歩いています。
——何だろう?
 ふと、見ると、若い女の子が立っていました。まわりの人全員が女の子を避けるように歩いているように見えました。
「なんで、あの女の子を、みんな、見ないのだろう?」
 と指さしてつぶやくと、友人は、
「えっ、そこには誰もいないよ」
 と言って、反対側を見ています。
「そっちではなく、あっちだけど……」
 と言って、さらに強く指さしました。
 しかし、その友人は、
「えっ、見ているけど誰もいないって……」
 と言い続けます。
 不思議に思い女の子を見ると、まるて静止でもしているかのように浮かんでいるではありませんか。地上から30センチくらいの空中に浮かんでいるのです。風が吹いているのに、その子だけ髪の毛が揺れていません。そして、首には手で絞められたようなあと。目が半分飛び出かけて、開いた口からは舌先まで出ていました。
 その時、
——ああ、この子は幽霊なのだな。しかも死んだ瞬間のままの姿の……。
 と思いました。
 それにしても、全員が女の子を見ないようにしているとは、とても不自然な感じがしました。人は怖ろし過ぎるものを目にすると、無意識に記憶を消す行動に出ます。その良い例的な感じでした。

 妻と歩きながら、あるいは妻の運転する車の助手席に座り、あれやこれや見えたものについて話していると、時々、話が食い違うこともあります。
「あそこに妙な感じの人が歩いている」
 とか言うと、
「そこには誰もいないよ」
 と返されることが多いです。
 私としては、見えているものをそのまま口にしているだけなのですが、他の人に見えていないことを知ると不思議です。あんなにハッキリと見えているのに、幻覚なのか、亡霊なのか分からないのです。まわりに人がいる時は観察すれば分かります。もし亡霊の類ならば、必ず見ないようにしているか、あるいは、見えていないような動きをするからです。

 時には、幻覚としか思えないものも見ます。たとえば、上半身だけの巨大な犬が走っているのを見たことがあります。前足の先から頭まで2メートルくらいありました。これは幻覚でなければ妖怪か何かでしょう。しかし、幻覚を見た覚えもなく、意識もハッキリとしていました。確かに妖怪でも出そうな怪しい場所で見ましたが、そのような妖怪は知りません。
 ある時は、古い神社の屋根の上を走る、何だか分からないものを見たことがあります。髪の毛の長い生首に足が生えたものでした。
——だから君はなに?
 と言う感じです。知らない種類の化け物を見ると何だかムズムズします。正体を知りたくなるのです。しかし、多くの場合は分かりません。

 そう言えば、梅田駅の入り口で托鉢をしている僧侶を見たこともあります。その時は妻と一緒でした。横断歩道の近くに僧侶がいるのに、まるで誰もいないかのように、誰ひとり、見ようとしませんでした。
「あの托鉢僧を、どうして誰も見ないのだろう?」
 と言うと、妻の目にも見えていたらしく、
「そうだね、不思議だね……」
 と、つぶやきました。

 僧侶と言えば、昔、京都の東寺で市があった時、僧侶が霊的な相談や祓いをしているのを見ました。この時も妻が一緒にいました。
 妻が、
「あのお坊さん、とても強そうだね」
 と言ったので見てみると、体も大きく、眼光も鋭く、修行僧を絵に描いたような僧侶でした。
「あんな人が霊にやられるのが多いけど……」
 と、つぶやいて、しばらく市を見物していました。夕方、ざわざわしている場所がありました。見ると先ほどの僧侶が歩いていました。しかし、目はうつろで、着物は肩が脱ぎかけ、口を半開きにしてポカンと空を見ていました。まるで、何かに、やられたような雰囲気でケラケラ笑いながら人ごみを歩いていたのです。
 その時、
——やっぱり、強い悪霊にやられたんだ。
 と思いました。自分は修行が出来ていると言う自信を持つ人は、時々、得体の知れない悪霊にその心を乱されます。その結果、やられるのです。昔は、これを〈天狗付き〉と呼んでいました。ある種の天狗は、僧侶専門に憑依とりつく種類の悪霊です。しかも、強そうな僧侶に挑む癖があります。

 京都に住んでいた頃は、強そうな僧侶をたくさん見ました。その後は大阪に住んでいたので、僧侶を見ること自体、稀になりました。
 山伏も、あまり見かけませんが、ある時、京都で時々見る山伏を元伊勢で見たことがあります。それは同じ山伏で、いつもメガネをかけてアンパンをかじっていました。市営地下鉄の中で見かけたこともあり、やはりその時もアンパンを齧っていました。何度も様々な場所で見かけると、現実の人なのに不思議な気がしてきます。

 山伏と言えば、大阪市北区の長柄ながらに〈鶯塚うぐいすづか〉があります。いったい何が祀られているのか知りません。毎年、祭礼の日になると、大量の山伏がお祓いをしてゆきます。資料によると、ただの鶯を祀っているらしいのですが、どうにも疑問でなりません。とは言うものの、播磨者の伝承には、そこに祀られている霊の正体についての伝えがいくつかあります。それは、公開出来ませんが、この土地は戦国時代に〈鶴の八幡〉と呼ばれた神社かあった場所です。この近くの川から播磨本国へ向かう船が出ていました。しばらく私は、この長柄に住んでいました。それは、ここに引越した後に知ったことですが、自宅のすぐ裏に〈鶴の八幡〉と呼ばれる神社が建っていたのです。
 私は長い間、鶴の八幡を探していました。そこは戦国時代に先祖が亡くなった土地であり、そしてその神社こそが、われわれ播磨者の大阪での拠点だったのです。この神社は戦国時代に焼け、その後も何度か再建されたのですが、幕末に他に合祀され完全に消滅していました。しかし、地元の願いにより、その後、また再建されていたそうです。
 今は、とても小さな〈長柄南八幡宮〉と呼ばれる神社になっていましたが、確かに昔、ここに鶴の八幡があったそうです。そのことは、ここに引っ越してから知ったことでした。
 なぜ、この場所に引っ越したのか?
 そして、なぜ、この家が気に入ったのか、分からないまま引っ越してきました。引越しが終わって、その日に洗濯機が壊れたのに気づき、しかたなく、近くのコイン・ランドリーへ行くと、その途中でこの南長柄八幡宮を見つけたのです。説明書きには〈かつて鶴の八幡と呼ばれた〉と書いてありました。それで、ここが私が探していた先祖たちの土地であることを知ったのです。何度か引っ越しては、不思議な係わりのある場所に住むようです。次は、どんな所へ引っ越すのかな……。

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