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近世百物語・第四十一夜「防空壕」

 子供の頃、近所に大きな防空壕ぼうくうごうがありました。防空壕は戦争中に空爆の避難に使った施設です。私の故郷は〈軍都〉と呼ばれていましたので、大きな防空壕が市内にいくつも残っていました。
 そんな関係もあり、子供の頃に住んでいた家の近所に大きな物が残っていたのです。防空壕は、建物と言うより岡に埋もれた入り口だけの感じでした。半地下の広場のような造りだったのです。軍の施設ですので、デザイン的な考慮もなく、無愛想な入り口だけが土から出ていて、もちろん窓はありません。

 私はそこで人魂ひとだまを見ました。
 蒸し暑い真夏の夜に人魂はつき物のような印象があります。しかし青白い人魂は、意外にも雨の日の夜に多く現れます。湿度と関係しているか、空気が乾燥している時や真冬の夜には見たことがありません。真夏は湿度が高く、人魂にとっては現れるのに良い季節なのかも知れません。

 白い半透明の兵隊たちも目にしました。彼らは第二次大戦の旧日本陸軍の軍服を着ていました。子供の頃は、町中に、まだ、復員兵が多くいたので、軍服姿を見慣れていました。
 復員兵は、もちろん生きています。当時、彼らの多くは手足に傷を負い、物乞いのようなことをして暮らしていました。私の幼い記憶の中では、松葉杖姿の人は、皆、復員兵となっていました。
 復員兵との思い出も多くあります。ですが、防空壕の近くで見る白い兵隊たちは少し様子が違っていました。もちろん彼らは亡霊ですので、手足はキチンと揃っています。当然のことですが、私はかつて一度も松葉杖の亡霊を見たことはありません。
 祖母が、
「杖をついて歩いている霊の多くは、神関係の何かだ」
 と言っていたのを思い出します。神は松葉杖ではなく、普通の杖で歩いています。杖には霊力があるそうです。時々、古文の中に杖の霊力について書かれた文章を見つけます。
 白い兵隊たちを見た時は、あまり深く考えたことはありませんでした。それにしても松葉杖の亡霊だけは見たことがありません。
 何年か前、足に怪我して松葉杖を使った時、自分の姿を見ながら、
——まるで、昔の復員兵のようだな。
 と、思ったことを覚えています。

 さて、防空壕の前に、同じクラスの女の子の家がありました。
 そこに住んでいる女の子は、良く、
——お盆が来ると、あの防空壕の上に、まるで盆踊りのようにお化けが出るのよ。
 と、遠い目をして言っていました。
 人魂など普通に見るそうですが、やはり雨の後が多いようです。彼女が見たお化けとは、どのようなものだったのでしょうか? 今となっては分かりません。二十歳を過ぎた頃、一度、その子に出会いましたが、もうお化けのことは忘れているようでした。

 そう言えば小学生の時、クラスの何人かと防空壕を探検しに行ったことがありました。入り口は崩壊しかけていて、子供にでも簡単に壊して入ることが出来ました。内部は暗く、誰かが持って来た懐中電灯の明かりだけが頼りでした。打ちっぱなしのコンクリの壁には明かりらしい設備もありません。
 しばらく進むと、地下へ続く階段が見えました。しかし、その階段の途中までが水没していて入ることが出来ません。しかたなく、みんな諦めて来た道を帰りました。
 ふと、帰りぎわ、後ろからポタッと水が落ちる音がしました。それで、誰かが振り返るとガクガクと震え出しました。何人かが、それに気づいて振り返りました。そこには白い半透明の兵隊さんが、ひっそりと立っていました。その瞬間、私を除いて全員の悲鳴が防空壕の中に響きました。驚いて、まさしく蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのです。
 ひとり逃げ遅れた私は、
——幽霊が怖いのなら、こんなところへ入らなきゃ良いのに……。
 と思いながら、幽霊に手を振ってそこから出ました。

 あとで、このことが大人に知れて、防空壕の入り口が封鎖されました。その翌年、防空壕が取り壊され、そこに大きなマーケットが開店したのです。マーケットは市内では珍しかったので、もちろん遊びに行きました。中に入ると、ちょっと奇妙な感じがしましたが、
——ここに、あの古びた防空壕があったなんてまるで信じられないな。
 と思うほど、立派な建物になっていました。
 しかし、中央あたりの一角に、ひときわ暗い感じのする場所があったのです。それは、確か、魚屋さんの横だと思います。その所為せいか湿度も高く、とにかく陰気な空気が漂っていました。そして、開店してから間もなく、その建物に、
——夜な夜な幽霊が出る。
 と言う噂がたちました。白い人が、時々うろつくそうです。また、閉店時間になっても帰らない兵隊さんとか、夜中に着物姿の子供が遊んでいると言う噂もありました。ひとつの心霊現象の噂が出ると、やがて様々な無関係な噂が広まります。そして本物がやって来るのです。

 しばらくして、マーケットへ行ってみると、魚屋さんだけが閉店していました。一角は仮ごしらえの休憩所になっていました。店がなくなったからと言って、その場の雰囲気が良くなることはありません。それからも、ずっと、建物にまつわる幽霊の噂はついてまわりました。
 やがて、建物は閉鎖され、駐車場になりました。そしてまた別なものが建ち、入れ替わり立ち替わり月日は流れてゆくのです。いくつも壊されて、その後に、また、いくつもが建ちました。しかし、怖ろしい噂話は消えるどころか、尾鰭おひれがついて増えてゆくだけです。

 私は、時々、すぐに潰れる場所に店を出す人に相談されます。そんな時は、祓うか場所を変えるかの、どちらかにしてもらいます。出来れば場所を変える方がベストだと思います。それは、たとえ、それらのわざわいを祓えたとしても、また、いつかそこに帰って来るからです。
 そんな時は、
「定期的に祓いを続けるか、さもなくば場所を変えた方が良いと思います」
 と、その場所についての説明をします。だからと言って、すぐに場所を変える人は少ないです。
「ここに来る前に言って欲しかった」
 とは言いますが、その時に相談に来る人はいません。ただ、実際に怖ろしい体験をすると、慌てて引っ越すようですが……。

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