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自分が美人だと気が付いた時、私は衝撃を受けた

ずっと自分のことを醜い顔だと思って生きてきた。

私をそう思わせた数ある要因の中の一つは、同級生にいたものすごい美人だった。学年で一番かわいい女子は誰かという話になれば、絶対に一人は彼女の名前を出すほどの、正真正銘の美人。

それもそのはず、彼女のご両親はそろってアナウンサーとして、朝のニュースで地上波に顔を出していた。

彼女ははっきりとした顔立ちだけでなく、すらりとしたスタイルでも、とにかく目を惹いた。愛嬌もあって、誰もが彼女を好きになった。教室の隅にいるだけで嘲笑される私とは大違いだった。


高校を卒業していくばくか経ったある日、突然そんな彼女のSNSが流れてきた。

鍵垢だったけど、そのアイコンの写真がもう、えっっらい可愛い
ご両親がそろって芸能人なのだ、当然娘も芸能人級の美人。そして彼女は元々お家柄も良く、朗らかで周りによく気を配る子で、卒業後はKから始まる有名私大に進んだ。富と知性、そして品性も持ち合わせているのだ。

ほら見ろよこの世のすべてを手に入れたこの美女を、こんな人たちと張り合えるわけなくない?

そんな卑屈な気持ちで私は可愛い子好きの友人にそのスクショを送った。返信はこうだった。

「え、これあなただと思った」

めまいがした。よろけた。脚が震えた。

この絶世の美女が?私に見える?

そう言われて、そんなはずねえだろとよーくよーく見たら、確かに死ぬほど上手く撮れた時の自分に似ている。

十代の頃、クラスで学年で部活で学校で、一度もかわいい子扱いされたことのない私が、むしろ陰気な地味子として笑いものにされていた私が、うちの学年代表の美女に似ているのだ。

そんなはずはないのに、確かに、そのiPhoneの標準カメラで撮られた他撮りが自分に見えたのだ。









いや、これに似てるなら、私、美人やん!?


その瞬間、ありとあらゆる記憶が蘇ってきた。
集合写真を見せたら「あーやっぱあなたが一番かわいいね」と言われた記憶。
ただ一度会っただけの異性から「すごい美人、一目ぼれした」としつこく連絡が来るようになった記憶。
習い事の発表会に両親が現れた時に「美形一家だねえ」と褒めていただいた記憶。

すべて社交辞令と言うか、「そんなわけないのにそんなふうに言ってくれるなんてありがたいなあ」ぐらいに思っていた。

でももしかして、本当に、本当の本当に私が美人に見えていたということ?


そこで思った。

私が今まで信じてきたのはなんだったんだ?

どれだけ私は、たかが学生時代の扱い程度で自分自身に呪いをかけ続けてきたのだろう。

何度片思い相手に相手にされなかろうと、アプローチしてくれた人が去って行こうと、「化粧を頑張ってるブス」である私がかわいい子に勝てないのは当然だよね、と思っていた。


女としての人権を得るために身を着飾るのは酷く気力を削がれる行為で、しょっちゅう疲れに襲われた。そんな日はパーカーにジーンズとすっぴんで過ごした。なんなら日本を出てからは毎日そうだった。


でもこの一件があってから私は、(ほぼ)毎日身なりを整えるようになった。意識が変わったのだ。

今までは醜い自分を人並みに見せるために化粧をしていたけれど、今は美人な自分をちゃんと美人に見せるために化粧をしている。

ただこれだけの意識の変化で、身なりを整えることがちっとも苦痛ではなくなった。せっかくかわいい私なんだからちゃんとかわいくしてあげなきゃね、ぐらいに思えるようになったのだ。


そしてそう思えるようになってから、私が苦痛だったのは自分の顔が醜いことでも他人にそう思われていることでもなく、私が私自身を醜い顔をした人間として扱い続けていることだったのだ、と、ついに気が付いた。


だから、このタイトルに釣られた人が私を調子に乗ったブスと呼びたいなら呼べばいいと思う。


この世の誰が私のことを醜いと叫ぼうと、私自身は自分を醜いと思って生きる必要はないのだ。


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