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日常

楽しいことを話せない日常。
その一方で話さない努力で、抽象的なことを語り、疎外されて、管理される結果になる。

管理されている。
一般的に理解されているそうだが、生きている心地はない。
こちらの個性を出せるか、許容されるかもわからない。
仕事ならなおさらに。

ある人間の言葉
「俺はお前の事を理解しているのに、なぜわからない」
そう何度も言われる。
苦しかった。

からかわれるうえに、良かれと思って絵を見せると
「自己満足」
どこをどう理解してたのだろうか?

これなら無反応のほうが良い。
その方が親切にも見える。
ほめられたいから甘かったのかもしれない。
それでいて、自己満足扱いされて悔しくもなる。
幸せでもない。

幸せに見えるのは、いちゃつくようにじゃれている人々と思う。
何かのレベルを持っていて、下に見られているように思う。
あこがれつつも、触れたい。触れてみたい。
しかし遠い気がする。

たがいに共感しあっているように見える。
幸せには遠い。遠すぎる。
その中心に女性がいたら、笑い声に惹かれる。
そして時に笑い声で否定されるような感覚にもなる。
金切り声の様に。

近づこうとして
コミュニケーションに失敗したようだ
感情的にもなる
自己嫌悪になる

ボタンの掛け違いで
すれていく
女に接近するといつもこうなっていく
「コミュニケーションは無駄だ」
そういう声が記憶の彼方から聞こえては
否定される

そして
のけ者にされるような感覚が
やってくる
挙動不審になる

だから幸せにはなれない
論文の読み書きしている時が
幸せに見える

しかし
誰ともその価値は共感できない
ノートと共に共感できるだけ
誰ともそのセオリーを共感できない
喜びをも分かつこともないだろう

選択してミスをしたのかも
生きづらさとは言うが

共感なんて クソくらえ
レベルが違いすぎる すぎた

都合がいい時に利用されるだけ
その逆がないから
共感しあうのはできなかった

お金がすべてだろう
何も変わらない
お金だけが得られている

全てが失敗した

もうイヤだ 
もうイヤだ
もうイヤだ

何をしても結果が来ない
総スカンのみ


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