思考的ナイトルーティーン

人生編。

服を脱ぎながら今日感じたことが頭を駆け巡りだす。

好きなことを見つけられることに羨ましさを感じる。続ける力がある人に感じる畏敬の念。好きなことが仕事になること、なんてわたしの人生には訪れない…か。取りえなかった選択肢や人生を悔やむこと山の如し。

夜になると、同じ思考が巡り巡る。
今あるものが陳腐化して見える。

誰かにとっての羨望の対象もわたしにとっての退屈。
手に入らないかもしれないものに向かって想いを馳せて一喜一憂する。それが人生というもの。

なりたいもの全てしたいこと全て、いろんな全ての満足が満たされきったら、生きる意味を失う。

どうしようもない苦しみ、届かない思い、実を結ばない努力、たらればや無い物ねだりに、生きる意味を見出させられているのよ。

洗濯機に服を放り込む。テキトーに洗剤を入れてポーンとスイッチを押す。今日の出来事も何もかもごちゃ混ぜになっちゃえ。

今日は熱いシャワーにしよう。

でも生きる意味を見出させられたからといってそれを真っ当にこなして真っ当に生きていくなんて誰にでもできることじゃないよね。
どこかで紆余曲折して頑張りすぎない道に自分を逃す人もいるし。

熱めのお湯で体の緊張がほぐれるのを感じながら、ふと、このままこの世界からリタイアすることがご褒美のように思えた。

なんのために、この満足の少ない人生を生きているんだろうか。

体を流れていくボティーソープの泡みたいに、私も消えて流れていけたら楽なのかな。。

ふー。

ほわほわとそんなことを考えていたら体を拭いて服まできてるから不思議。

ドライヤーの音にかき消されるようにそんなよしなしごとはすぐに消えて無くなるけど、満足しすぎても意味が見出せなくて、満足が少なすぎても生きていくのが辛くなる。ということだけははっきりと意識する。

程々になんて言葉誰が考えたんだろうな。
可もなく不可もなく生きて、たまに満足感を感じることがあったり、たまにどうしようもない渇望を感じたり。
まさに良いも悪いも程々に経験しながら人生を歩んできたみたい。

カチッとドライヤーのスイッチを切るとわやわやと議論していた心も少し黙る。寝る前に冷たい水をコップに注ぐ。

もしかすると人間の満足と当たり前は常に少しずつ互いを均質化していく性質があるのかも。満たされていても満たされていないように感じてくる。満足してるのだけどそれらは何もかもが当たり前と同義になる。氷は水の温度で溶けて、水は氷の温度で冷たくなるみたいに。

たまにあるおっきな不幸や不運、苦労、苦痛は、そういう当たり前の均衡をこわすために神様が用意したものかもしれない。今の日々がどれほど貴重でどれほど満ち足りていたかを感じさせたい、忘れさせてはいけないと教えさせたいのだろうな。

クーラーで冷えたシーツが私を徐々に眠りへと誘う。はあ、布団だけはいつも楽園。

そんなことを考えてまた今日という日が過ぎる。その積み重ねが人生なのだと声が聞こえた気がする。

部屋の明かりを消す時、明日になれば何か違う心境になるかもと暗示をかけてみる。

また明日、また明日。



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