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人に伝えるということ(記録と感想の違い)

私が働いている所は、訪問介護と看護が一緒になって、独り暮らしや高齢夫婦世帯、日中独居などの、要介護世帯の生活を支える、介護保険のサービス事業所。『定期巡回随時対応型訪問介護看護』という、長い名前のサービス事業所だ。私の住む県には、まだその定期巡回(以下定期巡回と略す)は、3つしかないらしい。市内には1つしかない。全国的にも、まだ少ないサービスなのだそうだ。
 365日毎日、複数回各利用者に必要な回数訪問し、24時間緊急対応もする。それを要介護度に応じた包括払いで(月謝のような感じ)で、利用していただく。
 イメージとしては、家にいながらにして、施設のような介護や看護が受けられ、住み慣れた我が家で暮らし続けられるサービスだ。
もちろん、施設のように常に人がいるわけでは無いので、ずっと人の目が必要な人には向かないので、施設の代わりにはならないが、365日複数回、必要な介護や看護が受けられる事で、自宅で暮らせる人にとってはとても助かるサービスだ。施設に入るよりも費用も随分安く済む。
 そんな定期巡回のサービス事業所で、私は管理者をしている。
 このサービスは、訪問介護と看護なので、各利者の家に行くときは、大抵スタッフ一人で訪問する。365日稼働しているので、シフト性で、うちの定期巡回ではチームで各利用者さんをみている。毎回決まったスタッフが、決まったお宅に伺うわけではない。だから、情報共有がとても大事なのだ。だけど、訪問先には一人で行くので、記録を残すことで情報共有をする。その記録を、次に行くスタッフが見て前の様子が解るように書く。書くのは電子記録で、介護記録システムで情報共有している。その記録は、利用者さんのご家族にも共有されていて、遠方に暮らす家族も、ほぼリアルタイムで記録を見て様子を知ることができる。
 介護職員間の申し送りとしてと、ご家族への連絡、さらには担当のケアマネージャーや、主治医にも共有できるので、とても便利で、とても大切な記録なのだ。
 だから、うちのスタッフさん達は、記録をとても詳しく丁寧に書かなければいけない。
絶対に人に読まれることが前提で、しかも、複数の、色々な立場の人が読む記録なのだ。

 介護の現場では、日々色々な事が起こる。
人対人なので、どうしてもそこには感情が生まれる。相手が機嫌の悪い時や、怒っているとき、逆にとてもにこやかで、楽しい会話が弾む時もある。トラブルが起きていることも多い。失禁して家が汚れていることもある。転倒して動けなくなっていることもある。オーブントースターの中で、ラップのかかったおかずが温められて、ラップが溶けて、おかずが焦げていることもある。寒いのにエアコンが冷房になっていて震えておられることもある。
そんな日々の様子を記録するにあたって、どうしても自分の思ったことを書きたくなってしまう事が多くあるようで、つい感情の入った主観的な記録を書いてしまう人が多い。
そしてそれを読む人もまた、それを読んで色々な感情をもつ。特にご家族は、自分の思う親のイメージと違っていたりすると、受け入れ難いこともあるので、その記録を書いた職員に不信感を持つことさえもある。
かといって、記録が簡素になると、「もっと詳しく書いてほしい」というご要望をいただく。
なかなか難しい作業なのだ。
そこで、昨日の会議にこんな話をした。
 「人に物事を伝える時、そこには見たことだけを書きましょう」
例えば、「嬉しそうにされていた」という一文は、見た人の主観であり、実際本人が嬉しかったかどうかは、本人にしか解らない。なぜ、嬉しそうに見えたのか、そこを書くようにするのだ。笑顔がみられた。穏やかな表情だった。「嬉しい」と言っていたと、観察した事実だけをそのままに書く。
「怒っていた」もそうで、眉間に皺を寄せて黙っていた、とか、大声を出して「帰れ」と言ったとか。その前後にあった出来事や、家の様子や、服装など、見たことをみたままに書く。
思ったことは書かない。そして読み手にそこからどう感じるかは委ねる。
記録とはそういうものだと思うのだ。

そして、そこで感じた感情を書くのが感想文だ。感想は、日々のミーティングや、定期的なカンファレンスで交わすことで、ケアの改善や、向上をしていく。
仕事の場面では、ミーティング記録には、感情は残しても良い。それは、スタッフの感じたことの事実の客観的な記録だからだ。

 だれしも子供の頃に読書感想文を書いたことがあるかと思う。
つい、読んだ事実をつらつらと、転記のように書いて、簡素でつまらないものになってしまい、評価は低くなる。上手な感想文は、そこに読み手の主観がうまく表現されている。書き手の感情を感じてそれを読んで感動したりするのだ。
 人と人の感情が交わる時に、感動が生まれたり、怒りや悲しみが生まれたりする。
文章に限らず、コミニュケーションとはそういうものなのだと思う。

長々と書いたが、記録には感情はいらない。
事実のみを書くことが大事。
しかし、それもなかなか慣れないと難しいようだ。普段から、考えて、気をつけて、責任を持ってその言葉を記録する。日々訓練だ。

言霊という言葉がある。私たちが発する言葉には大きな影響力があるのだと自覚して、言葉は大事にしなければいけないと思う。

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