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【読書】ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ / 辻村深月

辻村深月さんの本は好きでいくつか読んでいるけれど「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」をなんで今まで読んでいなかったのだろうと、読み終わってパタンと本を閉じた後に、ふぅとため息をつきながら思いました。
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ、というタイトルに込められた思いたるや。それはぜひ読んで味わってみてください。

辻村さんの女性の内側を抉るような作品は、自分のことを見透かされているようで、刺さりまくってオエっとなることがしばしばあります。辻村さんがわたしと同世代というのもあるのかも。
ここ数年で読んだ中では「傲慢と善良」は、これはもうわたしの物語かしら、と思わずにはいられないほど、主人公だけじゃなくどの登場人物にも感情移入してしまいました。
こちら↓


ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナの主人公であるみずほとチエは、30歳という岐路を迎えた女性、と帯に書かれています。果たして30歳は岐路なのか。なんで女性ばっかりそんなことを言われなきゃいかんのか、いまだにこの風潮は納得がいかなくて、それに苦しめられた多くの女子たちを丸ごとまとめて抱きしめたい。物語の中でもまるで30歳までに人生の全てを決めてしまわなければすべて終わってしまうくらいに追い詰められています。とくにチエは。

ただこの本が発行されたのは2009年なので、今よりもずっとずっと30歳の壁を意識して女性が生きていたかもしれないですね。かく言うわたしも高校や大学の頃は「さすがに30になったら結婚してるでしょ」と信じて疑わなかったから。(実際は30代後半で結婚しました)
でも実際30歳になったからといって、何にも変わらないのが現実。誕生日を迎えて数字が変わるだけの話なわけですよ。それなのに、チエはかわいそうなくらいに必死で、読んでいていたたまれなかった。

同時にこの物語では、家族の問題、とくに母と娘の愛情が描かれています。みずほは母親から異常なまでに厳しくされ、何かあるたびに、自宅のピアノの部屋に呼ばれて何時間も説教される子供時代を送っていました。そんなみずほにとって、チエの家族は癒しだった。朗らかな母と愉快な父。仲良しなチエの家族。
でも、チエが大人になってからは、会社まで送り迎えされること、飲み会の途中に家族に報告の電話を入れることを理由に、周りから「気持ち悪い」とバッサリ切られてしまいます。
お母さんとお父さんに愛され、それが当たり前だったチエにとって、それはふつうの出来事で、でもそうじゃない人たちにとってはそれは異常。
「ふつう、そんなことしないでしょ?」
「ふつう、大人になったら親にそんなことまで話さないでしょ?」
そのふつうは、一体だれのふつうなのか、この問いかけもヒリヒリしますね。


そしてやっぱ辻村深月最高や!と思ったのは、みずほの心情を書いたこの部分でした。

 公立の中学校から先の高校や大学は、自分で選んだ進学先だけあって、私と同じ程度の志向の、似た種類の人間が集まる。学力はもちろん、生活力、考える力までが釣り合っていたように思う。
 山梨に戻って、チエミたちと再会したとき、驚かされたのは、彼女たちの圧倒的な関心のなさ、考える力のなさだった。驚かされた、というよりは、思い出した、というべきか。中学校の頃と同じく、自分の身の回りの範囲と芸能ニュースにしか興味がないのだ。
 県議会議員と国会議員の区別がつかず、選挙があってたとえ投票しても、自分が今投じた票が、何を決めるための選挙なのかわからない。不況だ、不況だ、景気が悪い、と現状を嘆いていても、その原因がどこからくるのかは興味がない。不況の煽りを食って勤めている会社が傾いているかどうかもわからない。倒産した時初めて会社の文句を言うというイベントを経て、別の同じような勤め先を探すだけ。
 それで、生きていけてしまうのだ。何も困らずに。
 私が気を張ってアンテナを高くしていることが滑稽に思えるように、周りの時間はゆっくりと淀むように流れていた。
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ  辻村深月

この部分を読んで、みずほ何様!と思う人もいるかもしれません。でもわたしは、これがめちゃくちゃわかってしまいました。彼女たちの圧倒的な関心のなさ、考える力のなさという一文は、めちゃくちゃ衝撃的かつ直球ど真ん中で、すごく辛辣でもあるし、正直でもあるし、わたしにとっては「ああ、私だけじゃなかったんだ、こう思っていたのは」とほっとした部分でもありました。
高校、大学と受験によりレベル分けされることで、その時々の自分と同じような人が周りに集まってくる。大学となると地方に残るか、地元を出て一人暮らしをするかでさらに大きく変わってきます。都会に行くのか、地方だけど地元をでるのか、実家に留まり続けるのか。取捨選択の中で、出会う人も大きく変わり、人は成長していくのでしょう。
田舎を出て大学に進学し、都会で一人暮らしをしていたみずほにとって、田舎で働き、実家に住み続ける彼女たちの「変わらないこと」が、きっと退屈で腹ただしく、そしてどこかで自分とは違うと線引きし……。つまり、見下していたのだろうと思いました。


私にとって小説を読む醍醐味は、この感情は自分だけかもしれないと思っていたことが、自分ではなかったと気づかせてくれることです。それはほとんどが言葉では言い表せられない、もやっとして、どろっとして、ずるいこと。
だからこそ誰にも言えないし、言うことができないから、小説を通してそんな気持ちが出てくると、それを言語化してくれた作家はやっぱりすごいと感動します。
もちろん、すべての作品にそれがあるわけではありません。出会えるのはごく稀に。その稀の中に辻村深月さんがいます。わたしにとってそういう安心感をくれる作家さんのひとり。ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナも、自分を省みたり、想像したり、色々考えさせられることが多くあった作品でした。

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