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【読書】生皮 あるセクシャルハラスメントの光景 / 井上荒野

ああ、またすごい本を読んでしまった。
お気に入りのpodcast「真夜中の読書会〜おしゃべりな図書室〜」でおすすめされていた「生皮 あるセクシャルハラスメントの光景」。
最初に耳で情報を入れたからか、まずタイトルの生々しさにギョッとしたのだけど、読み終わったあとは、生皮というタイトル以外にこの本を体言するのにふさわしい言葉はないな、と思うほど。
これまでいくつか読んだ井上荒野さんの本の中で、いちばんガツンときた本でした。


「生皮 あるセクシャルハラスメントの光景」とは

タイトルにもあるように「生皮」はセクハラの話です。
小説の中でセクハラで告発される月島は、元敏腕編集者。今はカルチャースクールで小説の書き方を教えています。
その講座は芥川賞作家を二人も輩出していて、その甲斐あって受講希望者はキャンセル待ちをするほど。
小説家になりたい、いい小説を書きたいと願う受講生は、月島の指導に耳を傾け、月島のアドバイスに従います。

主人公咲歩は、いつの日からか月島から下の名前で呼ばれるようになり、なぜか携帯に連絡が来て、すぐにでも話しておきたいことがある、小説のことなんだ、出てこれるか?と誘われる。人気講師で、結果を出していて、尊敬している月島に。
さぁ、ここであなたが咲歩なら、この誘いを断れるでしょうか。

咲歩は断れませんでした。
一度ならず、二度目も。何で携帯に連絡があるのだろうという疑問が頭をよぎったけど、行ってしまった。
それは、断れば逆に意識していると思われるかもしれないと怖かったからです。
もし「は?君、僕のことをそんな目で見てたのか?」と言われたら?
もう、小説を教えてもらえなくなる。すごい講師から小説を教われる素敵な場所を失ってしまう。
そして、忙しい先生が自分のために時間を割いてくれていると、何なら申し訳ない気持ちにすらなっていきます。彼に認められ、褒められることへの高揚感も、なかったわけではなかった。

こうして咲歩は何度目かに、月島からあたりまえのようにホテルの部屋に促され、同意のない体の関係に持ち込まれてしまうのです。


明らかな上下関係がある場面で、人は本心を言えるか

怖いのは、月島がセクハラをしていたとの認識が一切なかったこと。
それが対等な関係の上に行われた、同意の元の行為だったと、疑いもしていなかったこと。
何ならお互い自然な流れでそうなった、と信じているんです。何の濁りもなく。
だから告発されるなんて寝耳に水でした。
しかもそういうふうに体の関係に持ち込んだのは咲歩だけじゃなかった、ということも読み進めていくとわかってきます。

でも、出会いからふたりのあいだには明らかな上下関係が存在しているわけで、対等なんかであるはずはないんです。
加えて彼には確かな権力もあった。
それなのに、月島はセクハラをしたとの認識がまるでない。清々しいまでにない。

泣き喚いたり、暴れたりといった抵抗がなければ、同意していないことにはならないのでしょうか。
そしてそれを黙らせるために暴力で押さえつけるなどしなければ、これはレイプと呼べないのか。
そしてそれでも「着いて行ったほうが悪い」と言えるのでしょうか。


誰もがハラスメントをする側に立つかもしれない恐怖

思い返してみると、本音が言えない場所というのはたくさんあります。
怖い先輩、査定される上司、指導してもらっている先生、尊敬してやまない師匠、ずっと憧れていた有名人。
彼らを前にしたとき、その瞬間から、そこに「対等な関係」なんてものは存在していません。
たとえ「今日は無礼講だから」と宣言された飲み会の場所であっても、本当の無礼講になることは決してない。
最初からパワーバランスが等しくない間柄では、本音と建前を取り払うことなんて不可能で、そういう空気の中で下の立場の人は自分の気持ちを強く主張することなんてできないと思うのです。

今上の立場にいる人たちだって、かつては下の立場だったこともある。そういう場面に出くわしたことがあったはずなのに、上の立場になると忘れてしまうものなのでしょうか。そして何の濁りもなく、懸念もなく、下の者を誘う。

これはセクハラに限らず、いろんなハラスメントに言えることだなと思いました。
お酒が強くないのに上司にすすめられ、断ったら「ちょっとくらい飲めるだろ」と言われて、うっかり許容を超えてしまう……なんてことも立派な“断れなかった”事例です。
年齢を重ねて、後輩ができる立場になったり、年下の友人が増えてきたりしたわたしだって、もしかしたら誰かに嫌な思いをさせていたのかもしれないと思うと、怖い。めちゃくちゃ怖くてたまらないです。


第三者による追撃の恐ろしさ

セクハラが明らかになったとき、被害者が攻撃されることがよくあります。

「何で逃げなかったの?」
「断ればよかったのに」
「着いて行ったわけでしょ?」
「二人きりになったんだから」

恥を偲んで言いますが、わたしもそんなふうに思ったことは一度や二度じゃない。これを読んでいる人の中にも、もしかしたらいるかもしれません。
関係ない第三者が大きな顔をして、ことの顛末を知らないのにえらそうに事件を語る。それがいかに恥ずかしいことかをこの作品は教えてくれました。

特に性的なハラスメントは、パワーバランスがあるからこそ見つかりにくく、さらに声を上げにくく、被害者が理不尽な思いを強いられる。

こんな事例は、世の中にたくさん、本当にたくさんあるのでしょう。
抵抗しなかったから、着いて行ってしまったから、断れなかったからと自分を責め、苦しんでいる人が今もひとりで闘っているのかと思うと、本当につらい。

そして自分がセクハラに加担していると思いもしない加害者は、その独りよがりな思い違いに、一体いつ気づくのでしょう。


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