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アート性を売り出す。

最近、動画でもなんでも誰でもできる時代になりましたね。
私はデザインツールなどをよく仕事で使うことが多いのですが、最近ではCanvaとかで無料で使うことができ、かつお洒落なテンプレートが使えるので誰でもデザイン的なことが簡単にできます。

今はもう20年前とは違います。だから、技術っていうのは誰でも習得できる時代になってきたと思います。主婦がスキマ時間に安く動画編集して稼げる時代です。誰でもできますし、YouYubeでも配信者が多く飽和状態と言われていますが、技術面でも多くの人が副業とかで参入している時代です。誰でも簡単にできる動画編集アプリがあったりと昔のように専門性も無くなってきたと思います。昔は10万くらいするソフトを使って30万くらいするPCを持っている人しか出来ないような時代でした。20年くらい前私が映画学校にいた時にはカメラも大きくて、何もかもが特殊でした。なので映像をやるという事は初期費用がかかり、参入できる人も少なかったと思います。

今、たくさんの人が参入し低コストで出来る時代となり、その中で目立つにはどうするのか。それは真似できないアート性を高めるしかないと思っています。AIでは予測不可能な表現を私たちはできます。アートとはいかに分かりずらく意味が分からない物だからです。その意味の分からないものがアートなので、いくらAIがアートを作ったとしてもきっとまだ追いつけていないと思います。「意味の分からないもの」考えても考えても追いつかない、自由な表現。それがアートだと私は考えています。

アートとは大きくまとめた世界です。その中に細かく
デザイン、写真、彫刻、絵画、建築、イラスト、etcと細かく分類されます。
でも、どれも生活に密着していたり実用的だったりします。それは厳密にはアートではなく技術となります。大きなアートの括りの中に入っていますが、技術なのでアートではなく職人的な感覚です。アート性を高めるとは
ぶっ飛んだ発想かもしれません。何が言いたいのか分からない、わかってしまったらアート性が弱くなる。意味がない無駄なものに感じるかもしれませんが、それがアート性が高い作品になってきます。言葉で表現できないようなものを視覚的なもので表現したり、ただの雑音のように聞こえるものがアートだったりします。アートは無限で壮大です。

そのアート性の強い作品を世の中に送り込み、観衆をびっくりさせたり、または感動させたり、嫌な気持ちにさせるのもアートの力だと思っています。
表現は自由です。でも私達には価値観というものがあります。今まで培ってきた価値観。そういうものが受け止める事を邪魔をしたり、理解できないと首を傾げたりさせます。でも、アート性が強いものはそういうものが多いのです。だからと言って世界中の人がアート性の強いものばかり作っていたらきっと世界はカオスかもしれません。混沌として、取り止めもない世界になってしまいます。秩序や理性によって世界は成り立っていますから、アーティストという存在は隠し味程度でいいのかと思っています。

人には美的価値観というものがあるので、全てが受け入れられるわけでもなく、色んなアートや考えがあっていいと思っています。その中で、印象的だったり刺激的だったり、生活の中に変わった空間や作品があることで、感性が豊かになったりするのではないだろうかと思います。街に出かけて異空間に触れて新しいものに触れるだけで人は満足できる生き物です。心が満たされます。そういうアート性が少し強いものはスパイス的にピリっと刺激として誰かしらに印象を与えるのだと思っています。

アートに触れるだけで考え方が変わっていくし、見え方も変わってくる。
価値観が変わったりする。視覚的な芸術作品だけではなく、文学だったり音楽だったり、空間だったり、アートに触れる経験は沢山あります。それを発信するアーティストだったり、受け止める鑑賞者だったりと方法は沢山あるので、自分の得意な方法でアート性を高めるという事ができたらと思っています。仕事でも何かスパイス的な人とは違った演出だったり、見た目だったり、アプローチだったり、アートを深く追求するだけで変わってくるんだと私は思っています。

今日は朝から熱く語ってしまいました。
以前、書かせていただいた感性を高めるためのワークショップ
リチェルカーレの説明・体験会を都内と津田沼にて開催させていただきます。ご興味のある方はぜひ、ご連絡ください。
詳細をご連絡させていただきます。

大人の美術部 リチェルカーレ
ricercare.art@gmail.com


よろしかったらサポートを是非お願いいたします。アートによって人々の感性が開花し、アートって楽しいなぁと思ってもらえる様な活動に専念していきたいです。