見出し画像

承認欲求モンスター信長が教えてくれる、人間関係の本質<麒麟がくる>

大河ドラマ「麒麟がくる」に関して、以前今作の信長を「承認欲求モンスター」と評しました。その後も相変わらずの空気読めなさでしたが、第40回でついに彼の最大の理解者だった帰蝶が離れていき、絶大の信頼を置いていた光秀に嘘をつかれました。

「何故じゃ?何故皆わしに背を向ける?」

光秀にそう言った場面。映像でも広大な安土城の中で、光秀とはものすごい距離があるんです。信長の傍にあるのは、松永久秀の焼けた茶器の残骸だけ。・・・哀しすぎるだろ。

以前は1枚の地図を一緒に見ながら「大きな国を作ろう」と語っていた2人なんですが、すでに光秀も信長を信じられなくなってきており、光秀から見た信長の姿もぼやけています。

自分がしたことが、相手からも返ってくる

光秀と話す前、信長は泣いていました。今作では何度か、信長が泣いている場面が出てくるのですが。

決定的に違ったのが、その後の帰蝶と光秀の言葉。

帰蝶「このごろ、殿のお気持ちが私にもようわからぬ・・・。」
光秀「帰蝶様がおわかりにならぬのなら、誰にもわかりませぬな。」

最初に見たときは、「2人ともあまりに無責任すぎない?」と思ったんです。今作では実は信長に初めそんなに野心はなかった。でも強い承認欲求を持っていたことをこの2人は分かっていて、それを「大きな国を作る」とか「麒麟(平らかな世)がくる世界を作る」とかいう個人的な野望に利用していたのは紛れもない事実です。

2人はある意味、承認欲求を満たす信長の理解者ではあった。けれど、彼のことを本当に理解しようとはしなかった。光秀は、信長が麒麟を連れてきてくれる器かどうかという観点でずっと見ていますから。それが信長の不幸であり。

けれど、多かれ少なかれみんな自分の利益のために人を利用しています。無条件で誰かを本気で理解しようとしてくれる人、そして理解できる人なんて現実にもいないわけで。

その対比で、今作ではもしかしたら光秀の妻煕子がいたのかもしれません。彼女は戦国時代の典型的な内助の功の妻として描かれていましたが、光秀が真摯に煕子と向き合ってきた結果だと思います。光秀はこの40回で、嘘がつけない、忖度もできない、バカ真面目な人間として描かれてきましたから。

だから、自分が周りに認められることしか考えてこなかった、自分のために周りの人間を利用しようとした信長の周りには、同じように信長を利用しようとする人間しか集まってこないし、彼らもやがて離れてゆく。ある意味当たり前のことです。

自分を理解すること、自分の芯を持つことの大切さ

今作の信長、本当に大好きなんです。だから何とかして本能寺を回避できる方法はなかったのか、また現実に生かせることはないか考えていまして。

「相手が自分の気持ちが分からないのは当たり前。だったら、自分の気持ちを相手に伝えればいい。相手の気持ちが分からないのなら、相手に聞けばいい。」

そう思ったんですけどね。「もしかして信長自身も、もう自分が何で泣いているのか分かっていないのでは?」と考え直しました。彼はずっと言葉にできないから、子どもみたいに泣くしかないのではないか。

信長はずっと、「相手はこう思っているはずだから、相手に褒めてもらうためにこう行動する!」というキャラでした。自分自身の芯なんてものはなくて、ただ尊敬する斎藤道三と、信頼する光秀と帰蝶が言ったから「大きな国を作る」ために行動してきただけです。

自分の芯がないから、自分の気持ちが分からない。なぜか哀しいけれど、何で哀しいのか言葉にできない。そんな人間は本当に生きづらいです。

生きづらい世界だけど、信長は幸か不幸か権力がある。力を持っている。だから、だんだん「自分が思う通りに、相手をこう動かす!」という様になっていく。力で無理矢理相手を認めさせて、自分が生きやすい世界をつくる。承認欲求が、行き着くところまで来てしまった感じです。

自分で自分が分かるか?というのは、簡単なように見えて究極的に難しいと思うんですよ。けれど他人を(無理矢理にではなく)動かすよりは楽だと思います。だから、それを地道にやっていくために、日々自分の気持ちを言葉にしていくことが大事なわけで、noteでも日記でも自己分析でもいいと思いますが、そうした機会は大事だと思いますね。


相手と自分の認識の違いをすり合わせていくことの大切さ

信長と周囲の想いが徹底的にずれていることは、今作序盤から描かれているわけですが、ここまでの違いかはともかく、ある程度の認識の違いは誰にだってあることだと思います。それを日々すり合わせていくことも大切だなと思いますね。自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを聞いたりして。

それができていれば、もしかしたら人間関係はもっと良くなっていたかもしれない。信長は残虐だ、とか変わってしまったとか言われていますが、信長自身の本質は悲しいほど変わっていないと思うんですよね。変える機会を逃してしまった。ただ、周りが求める器が尾張の小大名から天下を治められるかというものになってしまったから、認識の違いがどんどんずれていくことになります。


信長は「なぜみんな裏切るのか」と言った後に「これはたわけの愚痴じゃな・・・」とボソッと言うのですが、そうやってあきらめてしまうのではなく。

「気持ちが分からないから」と言って離れてしまうのではなく。

もちろん決して「敵は本能寺にあり」なんて言ってはいけません。

現代では不可能なことですが、相手を追い落とすとかそれに近いことはできます。けれど、それをやった人間がどうなるかは明らかです。

まあ、今の段階ではそう思っているのですが、これからこの脚本は本能寺に向けてより説得力を出してくるんだろうなぁ…

承認欲求モンスターではない、人間としての信長

彼が本当にモンスターだったら、こんなに苦しむことはなかったと思うのに。そう考えると信長はやっぱり人間なんです。現実でも、モンスターみたいに見える人があなたの近くにいたのだとしても、モンスターではないし次元が違う世界で生きているわけでもなくて、やっぱり人間なんです。

だから、相手を理解することはできない、自分の思い通りにはならないという前提を心に留めながら、相手を理解しようとすることはおろそかにしてはいけないのだと思います。


とにもかくにも本当にこれだけ心を動かされて、これだけの記事を書かせる信長を演じる染谷将太さん、そして麒麟がくるの物語が素晴らしすぎます。

最終回は2月7日。本能寺の変を一緒に見届けましょう!







この記事が参加している募集

読んでいただき、ありがとうございました。おなつの記事一覧はhttps://note.com/kaonatu/n/nfee4335744e2から飛べます!これからもよろしくお願いします!!