見出し画像

言葉だけではとらえられない豊かなものを大切に

日々いろんなものをいただいているなと思う。
それは何気ない表情から、仕草から、言葉から、態度や行動から伝わるもの。
それはその人がいなくなっても、私の心を包んで、あたたかい気持ちにしてくれる。

急な大雨に見知らぬ私に傘を差し出してくれて、一緒にバスを待ってくれたあなた。
通勤時に娘と電車に乗った日。出社前に座っていたかっただろうに笑顔で席を譲ってくれたスーツ姿のおじさん。通りを歩く、私たちを見てかけてくれる言葉。

酸素ボンベをリュックに入れて、娘が酸素カニューラをつけていた頃。
私たちをを見て、驚いた表情の後にパッと目を逸らす人、興味深そうにいつまでも見る人、微笑む人、気付かない人、気の毒そうな表情を浮かべる人がいた。
「可愛い」と言う人がいた。
「可哀想」と言う人もいた。
「これからも大変だね」と言う人がいた。
「この子頑張ってるね」と言う人もいた。
「俺も心臓が悪いからそれ家でつけてるんだよ。呼吸しやすくて良いよな。俺とお揃いだな!」と大きな笑顔で声をかけてくれたおじさんもいた。

その何気ない様々な言葉に、表情に、行動にどうしようもなく心が震えるときがある。
私たちはたくさんの目に見えないエネルギーの交換があって、自分がどこに光を当てるかによって、今日という日が作られる。

以前、禅の先生に教えてもらった「一花開いて世界起こる」

私はこの禅語がとても好きだ。 ひとつのささやかな花が咲くことで、新しい世界が新鮮に立ちあがる。どんなに小さくささやかに見えても、それは自分や周囲の世界を更新し、周りに良い影響を与えていく。たった一輪の花によって、その人の今いる世界を明るく照らす力がある。

私がヨガを好きな理由、飽きずに伝え続ける理由もシンプルにここに集約される。
自分を自分で良い状態に整える。他人や周囲の状況によって振り回される自分ではなく、自分で自分を上手くハンドリングする。

その良い状態のあなた自身であることが、まるで一輪の花のように、あなたのいる周囲に良い影響を与え、誰かを幸せにしたり明るくする力がある。そうして、私たちは断絶された社会に生きるのではなく、互いの思いやりやつながりを思い出していく。

私にとってヨガはその良い状態に立ち返る練習。
何度でも何度でもいつでもやり直すことが出来る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?