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インプットが大好きな僕がアウトプットを初めてみる

僕はインプットが好き。

化学科出身だから、化学書のようにアカデミックな教科書を読むことも大好きだし、普通の小説を読むことも好き。ほかの専門書で経営学やサムエルソン経済学のような文系学術書を読むこともあれば、エチカや国家(プラトン)のような岩波書店の哲学シリーズを読むことも好き。専門的な分野にこだわりはなく、学ぶことや新しい知識や考え方に出会って、ゾクゾクする感覚を求めているのだと思う。ここまで聞くと社会的に恵まれているように聞こえるけれど、アウトプットに関してはまるで興味がない。だから、本を読んだ内容をうまく話せるわけでもないし、読んだ知識をすべて蓄えているかと言えばそうではない。読書をすること=良いこと のように思えるけれど、その感覚ではなく、ただ楽しいからやっているだけ。だからただインプットが好きな人でこれといった取り柄があるわけではない。

一歩踏み出すことに対する過度な抵抗感

内心が穏やかなタイプだが、ひとからとやかく言われるのが嫌で自分が考えていることを外に出すのが嫌なのだと思う。これは、ほんの数人に頭ごなしに否定された経験があるからかもしれない。大学1年生や2年生ぐらいのときに、自信満々に夢を語ってエネルギーに満ちていた自分だったけど、ちょっとビジネスの世界に入った途端、自分がいかに論理が破綻しているかが目に見えるようになってきた。そこで自信満々にプレゼンテーションをしたときに、いろんなフィードバックでよくいわれるのが「なにをいっているのかわからない。」だった。これは全力で伝えようと自信たっぷりだった自分にはかなりの挫折経験だったと思う。そこから、自分には論理が足りないと思って、コンサル系に憧れて論理力をかなり鍛えるようになった。もちろん、インプットは得意だから、関連する本を40-50冊程度読んで論理力をみにつけることができた。そうすると、他の人が論理があきらかにずれた発言をしていると頭の中ですぐに理解できるようになってしまった。ここからよりアウトプットができなくなってしまった。

アウトプットを始めてみたかったワケ

論理を鍛えたからというものの、アウトプットすることが怖くなってしまった。他人から批判されたらどうしようとか、「それ論理破綻してるよね」とか云われるのが怖くてたまらない。この影響からか、自分のやりたいことや発言がこじんまりしていると感じるようになってきた。周りに当たり触るの無いことをゆったり、難しくて失敗しそうなことにチャレンジすることに発言で保険をかけるようになってきた。自分はこのままで本当に死ぬまでにやりたいことを成し遂げられるのだろか。自分を信じで、いろんなチャレンジができていた昔の頃にはいつ戻れるんだろうか?こんな疑問が頭をよぎるようになってきた。

アウトプットが自分を柔らかくほぐしてくれると信じて

だから、論理とかを気にせずに自由に書くことでアウトプットの抵抗感をへらしていけるのではないか。そう思うようになったからこのnoteをかき始めた。自分の論理的思考力だけで凝り固まった頭や考え方をゆっくり、かきながら、ほぐしていければいいな。そう思って今書きました。読んでくれた方ありがとうございます。コメントくれると嬉しいです。




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