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初対面で「沖縄の人?」って聞かれる私の中にも縄文DNAがあるのかも

沖縄の宮古島の遺跡調査から紀元前2世紀の島民が100%縄文人のDNAだったことがわかり、遺伝子学的には現在の沖縄の人も20%の縄文DNAを持っています。私は那覇、両親は宮古島の出身です。

沖縄の人の顔立ちが本州の人と違うのも、縄文DNAの 名残りかもしてませんね。私も東京に来て初対面の人には必ず「沖縄の方ですか?」って聞かれますから。(上の写真は私です、どうでしょう?)

沖縄といえば海ですが、今は軽石の漂着で大変なようです。沖縄の海の水平線を見ると、こんな言葉を思い出します。

「ニライカナイ」


沖縄には古くから「ニライカナイ、遠い海の彼方に神の世界があり豊穣をもたらす」という言伝えがあります。


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「ニライ」は、遥か遠いところという意味で「カナイ」も同じ意味と言われています。

個人的な見解ですが、「ニライ」は現在の本州で当時の縄文文明を指し、「カナイ」は神(カミ)という意味だと思っています。

いまでも縄文DNAを50%遺しているアイヌ民族は、神のことを「カムイ」と言いますからね。ニライカナイは、当時の沖縄に移動して来た縄文人たちが、「遠い海の向こうにいる同じ縄文人たち」のことを思い表した意味なのではないかと個人的には思っています。

神といっても、宗教のない時代の神の概念は現在の信仰対象とはちょっと違います。

縄文時代の人間はある意味で「自意識」というものがなかったようです。すべてのものが「自然」であり、  「ヒト」という感覚もなく人間も自然の一部だった。 すべての自然の働き、森羅万象を無意識の感覚で、そこに「ある」ものとして一体化、全体化の中で生き、生かされている感覚だったのでしょう。


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そこは個人の私やあなたという区別や主観、自我がない世界です。すべてが全体性の中にある客観の世界。

「畏敬の念」という言葉がありますが、縄文人は大自然に対して畏敬の念、崇高で敬うことが無意識に行われていたのでしょう。そして下の写真にあるように、遺跡には多くの亡くなった人を祀る場が遺っていることから、祖霊信仰を大事にしていたこともわかっています。


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沖縄にも古くから特定の宗教感はありません(今は多くの宗教がありますが)。沖縄は現在でも先祖を祀る先祖崇拝です。どんな宗教を信仰していている人でも、先祖を大事にしない人や家庭はないと言ってもいいでしょう。 東京に来て感じたひとつに沖縄は、先祖を畏敬する意識が強いと感じたことです。

沖縄の仏壇には、先祖の名前が書かれたこんな独特な 位牌が祀られています。何十世代も遡れば、みんな縄文人だったのでしょうね。


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沖縄に遺る「ニライカナイ」という言葉にも、縄文時代を色濃く遺した一万年前の背景が目に映りますね。





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