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一人暮らしで私が母に送ってもらった宅急便に入っていたものは。

長女が春から上京する。
そのせいか、一人暮らししていたことをぼんやりおもいかえすことがある。

25年前、私は一人暮らしをしていた。
場所は横浜だった。
社会人になってすぐの4月、研修が明けて取り敢えず奈良の実家にいたが、正式に辞令がおり、横浜ルミネに配属になったのだ。
元々全国転勤出来る人材を求められていたので、何の驚きもなかったが、憧れの一人暮らしでワクワクが止まらなかった。

当時はまだネットも発達しておらず、私は携帯電話さえ持っていなかった。そんな90年代の終わりの頃の話。

住まい探しは会社の斡旋だったので、不動産屋から自宅にFAXを送ってもらいその中から決めた。
家賃上限はあったはずだが、関西からはじめての転勤要員だったため、何も言われず一番良い条件の家に住めた。

横浜から電車で10分、駅から徒歩4分で築年数は1年も経っていない、オートロックのレディースマンションで25平米、最上階は大家さんが住んでいた。
家賃は76000円に共益費3000円だったと思う。

クローゼットも大きく部屋もゆったりした1Kで、なんだかおしゃれな部屋だった。

有限会社関榮不動産より
当時の部屋をネットで見れる今の時代に感動!

家賃は15000円と共益費のみで住めたので18000円で住んでいた。
結婚してから住んだ賃貸マンションの方が安かったので良い家に住ませてもらっていたんだなぁと思う。

そんな一人暮らし、両親は何も言わずせっせと家電や家具の手配をしてくれ全部買ってくれた。有り難い話だと今になって思う。社会人の一人暮らしなのに。
さらに、一人暮らしした直後に父が出張の帰りにうちに寄った。
テレビの位置などを調整してくれ、駅前でうどんを食べた。
はじめて食べた関東のうどんはスープがしょうゆ色で味も濃くて噂には聞いていたがびっくりした。
今思い返せば、父は出張のついでじゃなくて出張を作ったのかな、とも思う。
直後に父は台湾の高雄に単身赴任になり、奈良の母と妹と現地集合し、横浜から遊びに行ったのも懐かしい思い出だ。


関西から友達も泊まりに来た。短大時代に料理教室に通わせて貰っていたおかげで、何も困ることなくきちんと自炊し、規則正しい生活を送っていた。誰に見られているわけでもないのに、ダラダラ過ごした記憶がない。
ただこの年にリリースされたユーミンのアルバム、スユアの波は今も聞けない。当時の寂しかった一人の冬を思い出すからだ。

横須賀モアーズのオープニングスタッフとして半年後に異動していた私は、正月は仕事だった。福袋がまだ人気だった時代の初売りである。ついでに言うと空前の安室ブーム時代で、細見のロングニットコートにストレッチブーツ、みんな同じファッションをしていた。
関西ではいくら流行っていても、ここまで同じファッションにならないので驚かされた。
私の働く店はトラッドベースだったため、アムラーとは縁はなかったけれど。

その年、はじめて一人での年越しをすることになった私は、母におせち料理を送ってほしいと頼んだ。
すると、手作りの一人分のおせち料理と祝箸などが宅急便で送られてきた。嬉しかった。ここぞという時のお願いは必ず聞いてくれる母である。

それを綺麗に並べて、正月の朝に食べた。
私が一人で正月を迎えたのは、これが最初で最後である。

詳しいお仕事のお話はこちら!

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#一人暮らしのエピソード


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