2023年夏、夫婦で旅を始めます
今回の私たち夫婦の旅の相棒となるのは、E-bike(電動アシスト付き自転車)。
夫は昨年「30日間日本縦断」でE-bikeで旅をしましたが、私は15年ぶりの旅です。
私は、もともと出不精で、完全なインドア派、もちろん普段は運動など全くしていません。
アシストがあるとは言え自転車という体力勝負の旅ができるのか、というのが旅の最大の懸案事項。
私は、2023年2月に61歳、夫は、5月で62歳になります。
この間まで若者のつもりでいましたが、月日が経つのが早すぎて驚きます。
なんでも、60歳で人生を一回りし終えたことになり、その先の二回り目は好きなことだけやって生きていけばいいそうです。
まぁ、そう簡単にはいかないでしょうけれど、気分はそんな感じで生きていきたいと思う今日この頃です。
だから気持ちは、おもいっきり自由を謳歌したい思いでいっぱいです。
走ることには全く自信がありませんが、あちこち寄り道して、美味しいものを食べて、出会いを楽しむ時間にしたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
遅くなりましたが自己紹介
はじめまして、藤原ヒロコ(浩子)と申します。
普段は、ライフオーガナイザーという片付けのプロとしての活動、そしてパーソナル(ストレングス)コーチとして、それぞれの強みを活かした生き方を応援するセッションや、講座を開催しています。
ちなみに、いつもは藤原浩子と表記していますが、今までも旅の発信の時は藤原ヒロコとしていたので、ここでは藤原ヒロコでいこうと思います。
夫は、藤原かんいち(寛一)。
もとグラフィックデザイナーですが、若い頃からずっと旅をしていて、2000年から旅行家として活動しています。
旅の様子をさまざまな媒体で発表し、文章の他にも、写真を撮り、イラストレーターとしても活動しています。
このnoteでは、新しい旅の様子を発信していきます。
一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
これまでの旅歴
地図にも個性が出ていますが、私たち夫婦それぞれが旅した軌跡。
【最初の旅】
私は結婚前の20代に、夫のかんいちに誘われてバイク旅を始めました。
最初は、50ccバイクで世界一周をするかんいちの計画のうち、一番旅がしやすいだろうヨーロッパに一緒に行かないか、と誘われたのが始まり。
嫌だったらすぐに帰ってこようと思いながら、最初の旅は7ヶ月もの長期旅となりました。
思えばその時も、バイクは初心者、キャンプもしたことがなければ、旅の経験もない、さらには語学は大の苦手。
きっと周りは驚いたり、無謀だと呆れたりしていたことでしょう。
その時私は商業施設の企画の仕事をしていて、その仕事が大好きでした。
それなのに、そんな大好きな仕事を辞めてまで旅を選ぶことには、もちろん大きな葛藤もありました。
けれど、その時、こんなふうに思ったんです。
予想のつく未来よりも、予想のつかない未来を見てみたい!
仕事をしている自分の未来を想像したら,なんとなくイメージがつく。
けれど、旅に行くことをイメージしてみても、まるで何も想像できなかったのです。
だからこそ、そんな未来を見てみたい、自分はどう感じるんだろう…
そんな思いが私を突き動かしました。
そして、7か月のヨーロッパの旅で、すっかり旅に魅了されてしまったのだと思います。
もちろん、寒さに凍え雨に打たれ雪に降られたりという過酷さや、ふたりの間の危機にということもありました。
旅の最後は、荷物を積んだバイクを盗まれて旅を終えるしかなかなる、という悲劇で幕を下ろす。
それはそれはいろいろありましたが、それさえも過ぎてしまえば大切な思い出です。
【2度目の旅】
かんいちはヨーロッパの旅を終えた後、世界一周のために次のアメリカ大陸を単身で旅していたものの、途中で体調を崩して帰国。
私たちは結婚しました。
結婚後は、お互いに仕事をしていたし、かんいちは1人でアジアを旅したりもしていました。
ただ、世界一周で完了できなかった北南米は、いつか一緒に旅しよう、というのがふたりの夢にもなっていました。
そして数年後、本当に2人で旅に出ます。
この旅が成功したら、かんいちの長年の夢である「50ccバイクで五大陸制覇」を成し遂げられることになります。
旅を始めてしばらくすると、その思いが徐々に私にプレッシャーを与えていきます。
ひとりで旅をしていたら、多分その夢は叶うだろう、でも、足手まといの私が一緒なことで達成できなかったら…
そう思うと気が重く、旅を楽しむことができません。
そんなある日、急に思ったのです。
最初から大きな目標を立てるから辛くなる。
1日1日、隣町に遊びに行くように旅をしていたら、それがきっといつか大きな結果となる。
そう思いながらその日その日を大切にすることで、プレッシャーから解放され、毎日、ただただ旅の日々に集中できました。
この時の思いが、今回のE-bikeの旅でもきっとなんとかなるだろう、という自信のようなものになっているのかもしれません。
結果、北南米縦断の旅は、北米大陸最北端から南米大陸最南端まで、1年8ヶ月にもなる長い旅となり、かんいちの大きな夢がひとつ完結しました。
私自身も、最初の旅の時よりもずっと自分らしい旅の楽しみ方ができてきた気がします。
【3度目の旅】
大きな旅が終わり、かんいちは旅行家として独立し、ひとりであちこち旅をしていました。
私は、最初の旅が終わった後から、以前の仕事関係の仕事をフリーランスで続けていました。
旅に行くたびにお休みし、帰国すると今までと同じように仕事を請負い、10年以上お世話になりました。
そんなある日、夫がキラリと目を輝かせるように私に話しかけてきました。
それがきた時は、何か次のアイディアが膨らんでいる証拠。
そこから、電動バイクと250ccスクーターでの世界一周という、新しい2人の旅が始まります。
ひとつの大陸を半年程度、北半球と南半球を行ったり来たり、夏と乾季を追いかけて旅を続けます。
その旅の生活は、一時帰国の時期も含めて足掛け5年にもなりました。
この頃には、私も旅の生活にすっかり慣れ、さまざまな国の人たちとの交流も今まで以上に楽しめるようになっていました。
語学は相変わらずダメだけれど、人と人が繋がるために必要なのは言葉だけではない、と教えてくれたのが出会った人たちです。
さまざまな体験は、若い頃から自分を持て余し、人との関わりが苦手だった私にとって、大きな大きな宝物となりました。
特に、アフリカ、インド、イランなど、日本の生活とは違う環境に暮らす人々との交流は「幸せとは何か」ということを考えさせられました。
私にとっての旅は、たくさんの宝物に囲まれたような特別な時間です。
いつの間にか、訪問した国は76カ国、3回の旅で海外にいた期間はトータル5年にもなっていました。
旅ではない夢
世界一周の旅が終わった後、今度は旅ではない事をしたいな、と思いはじめる私がいました。
結婚前から,ずっとかんいちと一緒に旅をすることが生活の中心となる生き方をしていました。
それは、はじめて旅をするときに感じた、まさしく想像もしない世界でした。
ただその頃、50歳を前にして人生の終わりが見えてきたというか、終わりが来ると実感するようになって、気分も落ち込む事が増えてきました。
多分それは、更年期障害の始まりだったのだと思います。
そんな中、久しぶりに社会に出てみようと思い、お堅い事務職を5年半やらせてもらいました。
期間限定の仕事だったのに、かなり思いっきり関わらせていただき、得意な企画の仕事もやらせていただきました。
その間、何かこれから自分でできることはないか、人生の中でやり残していることがあるのではないか、と模索し続けていました。
そして、ライフオーガナイザーという片付けのプロとなり、そこからメンタルオーガナイザーとして心理学に触れる機会を持ちます。
さらに、コーチング、クリフトンストレングスを知り、今は、コーチ、講師としても活動しています。
考えたら、これもまた、新しい世界です。
そして私は、コーチングの中のファウンデーション(自己基盤)の学びを深め、もっと私らしく何かできることがあるのではないか、と考え始めていました。
でも、ここ数年、インプット過多。
感性を司る右脳よりも、理論を司る左脳が優位になってきている気がしています。
さらに新しいステージへ
なんとなく今の私に必要なのは,感性を刺激するような体験なのではないかと感じ始めていました。
そんな時、かんいちからまた一緒に旅をしようと誘われたのです。
今度は今までと違って、自分が動かなければ前に進まない体力勝負の旅です。
世界一周を終えてから15年、旅らしい旅はしていないし、年齢も重ねて体力も気力も落ちている。
それでも、今の私たちだからこそ、できる旅があるかもしれない、とも思っています。
そして、その旅で私が本当にやりたいことが見えてくるのではないか、そんな予感がしています。
私が伝えたいことは、アフリカやインドや南米の旅で感じたこと。
「本当の幸せってなんだろう…」
人生で一番大切なことは、どんな状況の中でも、幸せだと思えることに目を向けられる力。
その自分の幸せのために選択し、行動し、自分に期待して、自分の使命を全うすること。
誰かのようになることでも、正しい事を探すことでも、みんなと足並みを合わせることでもないと思うのです。
どんな状況の中にも、幸せの種はある。
そしてきっと、自分は自分のままでいいはずだから…
そんな事を、旅と共に考える機会になれば嬉しいと思っています。
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