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第21夜「ふかくこの生を愛すべし」會津八一と俳優・松村雄基さんのシャンソン

 新潟市出身の歌人、書家會津八一(あいづ・やいち)の誕生日は、8月1日。生まれたのは1881年だから、よくよく8と1に縁があるのだろう。新潟市會津八一記念館では、生誕記念日に合わせて、「八一祭」というイベントを新潟市で開いている。
 ここ数年、八一祭に出演しているのが俳優、書家の松村雄基さんだ(ことしはスケジュールの都合で10月になるとのこと)。新潟大准教授で書家の角田(つのだ)勝久さんとコンビを組み、トークや朗読などで、来場者を楽しませている。松村さんの書は、第17回東京書作展で内閣総理大臣賞を受賞している。八一の書には、以前から興味があったという。新潟市でのミュージカル出演の合間に、會津記念館を訪問したら偶然、角田さんが居合わせた。話が弾み、出演につながったとか。
 昨年の夏、八一祭に参加した松村さん、角田さんと、八一が疎開生活を送った新潟県中条町(現在の胎内市)や、新潟市の北方文化博物館などを訪ねる小旅行に誘ってもらった。車の運転とガイド役は會津記念館の主査学芸員、喜嶋奈津代さん。八一ファンにとっては、何ともぜいたくな旅だ。
 松村さんといえば、大映ドラマの不良少年役(「不良少女とよばれて」の東京流星会会長、西村朝男など)のイメージが強い。だがご本人は礼儀正しく、さわやかなお人柄だった。小さな生き物が好きらしく、葉っぱに乗ったアマガエルを見つけると寄っていき、「かわいいなあ」とニコニコしながら見ている。
 家庭の事情で、幼いころから祖母と2人暮らし。「中国語の通訳か外交官」になるのが夢だったそうだ。中学生の時に芸能界入りした。18歳の時に祖母が病で倒れ、松村さんは俳優をしながら、何年も介護を続けた。いまで言うヤングケアラーだったのだ。ドラマで激しいけんかのシーンを演じながら、家庭でそんな苦労をしていたとは。
 松村さんは早朝のジョギングを欠かさず、還暦近くなってもスリムな体形を保っている。詩吟を教えていた祖母の影響もあり、詩吟や剣舞もできるそうだ。「多才ですねえ」と感心していたら、「もう一つ、挑戦していることがあるんですよ」と言う。シャンソン歌手に誘われて、自身もシャンソンを歌い始めた。「聴いてみたい」と私たちが騒いだら、「では一曲」と車中で「ラ・ボエム」を披露してくれた。何という艶やかな声だろう。車窓の外には、真夏の空と見渡す限りの稲田が広がる。歌が終わると、車内は大きな拍手で満たされた。
 八一が座右の銘とし、学生にも書き与えたものに「学規」がある。「ふかくこの生(せい)を愛すべし」「日々新面目(しんめんもく)あるべし」などの4カ条だ。松村さんは学規を体現している人だな、と思った。いつか、八一祭でシャンソンを歌ってほしい。
 (写真は2021年7月31日の新潟市で開かれた八一祭イベント=新潟市會津八一記念館提供。左が松村雄基さん、右が角田勝久さん。スキ♥を押していただくと、猫おかみがお礼を言います。下の記事では「八一の人生と酒」を紹介しています)

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