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冒瀆することは決して出来ない

人間は、“生かされている”。確かに、人間、一人では生きていけないし、生きるために全てが揃う世に在るということは“生かされている”と云える。しかし、これでは単なる受け身の人生でしかない。“生かされている”にはもう一つの意味がある。これ即ち、“良く生きよう”という「気」がなければ、生かされない。生かしてもらえない。人間は、このことを心底承知しておくべし。それは、生きていることに感謝する程度では足りない。“良く生きよう”“良く生きたい”という思い、意志、意欲、信念がなくば、より良く生かされることはない。己、飼いならされている生き物のような生き方をしていないか。人間社会の強欲や思惑、誘惑に意図しようが意図しまいが便乗し、楽だから便利だから得だからと、後をトボトボ追いていくだけの生き様では、この世に生まれた甲斐はない。それを“魂”が許さない。“魂”とは何ぞや?“魂”とは、神の分け御霊。どのような環境、境遇であったとしても、何者にも“魂”を汚し犯し冒瀆することは決して出来ない。気の病んだ、気の抜けた己の心に厚く覆われてしまっていたとしても、魂は内側で輝きを保ち続けている。そのことが真に悟れたならば、己のざわつく心、凍てつく心、波打つ心を鎮め“魂”の声に耳を傾けてみよ。本来誰もが持つ、純粋な魂の声を。そこから“良く生きよう”“良く生きたい”という思いが迸ってくるはず。試してみよ。そのことを悟り、“良く生きよう”とする気力、意欲が沸き立ってくれば、自ずと進むべき道が照らされてくる。



そのことを肝に銘じ、忙しさに感けて、惰性に流していることも全て見直し、心を整え、内なる魂の声に耳を傾け、その声を捉え動き生きます。



有難うございます。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者