「こんなはずじゃなかった」
人間の営み、生活において、常に変化は起こり、それに基づいて生成化育していくことが求められている。人間は、ただ日々安寧の中で、何事もなく静かに暮らしていたいと願う。しかし、現実はそうはいかぬ。当人が望もうが望まなかろうが、時は流れ、変化し、絶え間ない衝突や反響、熱波、劣化の中で、様々な気が押し寄せる。特に人間同士の気のふれあいの中で起こる軋轢や奇跡のエネルギーは、それを壅塞したとしても影響を受けてしまう。なぜか。この第三の地球に生を受けていることそのものが、修業の身であることの証明。故に、この中で遣り繰りをしながら生を全うする以外に他はない。「こんなはずじゃなかった」は、通用しない。この境遇に耐え切れず逃げ出したり、止めたりしたとしても、その試練を乗り越え学びを得るまで、同じことが永遠と繰り返される。なぜこのような厳しい営みに飛び込んでしまったのか。それは誰の所為でもなく、自分自身の意志によるものであることを推して知るべし。自ら変わることを選択し、望み、願い出てそうさせてもらった真実を今更変えることは出来ぬのだ。それが人間であることの性であり業。例え己の境遇が惨めであっても貧なるものであったとしても、この真実が分っている者の目は死んでいない。これ真なる自立。己は、自らを正し生きる自立した大人であるか。鏡に映ったその姿、生きた目をしているならば、己の道を歩めている。従って、心配することは何もない。進め、己の道を。険しく苦しくともそれが己の道。人生最後の辿りには、真の光に包まれて最上の幸福を得ることが出来るであろう。
そのことを念じ、今日のこの一時を無駄にすることなく、変化を味わい、ただ只管に苦労に向き合います。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者