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授かった姓名と命数を考える

人間は、誰しもが、生年月日を持つ。そして、誰しもが名前を授かる。この2つの事象には、人生に深い意味があるのか、無いのか。あるに決まっている。生年月日は、命数となる。これは、生まれ変わり以外に変えることは出来ない。無条件で数字が付く。そして、この数字の意味に、人間はとてつもない影響を受ける。命数は、人の本質を表し、素材であり、個性。前世を基にして、理屈抜きの働きをする。命数が同数の人はたくさん存在する。しかし、その個性の表現は異なる。なぜならば、どこで生まれたのかという出生の環境、成長過程で接触する人々から受ける影響、そして日常での環境の様々な影響が加わるためである。姓名には、文字に表の意味、数字の組み立て(画数)に裏の意味があり、表裏一体となり二面性の働きを持っている。これは、本人に与えられた人生の方向性であり、法律であり、目標である。人間は、名の如く成るのである。この一見、当たり前のようで、見過ごされている真実を理解し生きるのと、何もわからずに生きるのでは大きな差が出て来る。即ち、人間は分かったつもりで、何も分かっていないことを知る必要があるということ。従って、素直、正直、謙虚に、真実を探求し、学びを得ることが肝要なのである。



そのことを肝に銘じ、今日一日を生きます。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者