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川柳徒然 間男が抱くと泣き止む気の毒さ 柄井川柳の誹風柳多留四篇⑤

 トランスジェンダーの理解が深まったとはいえ、家庭の基本は男女の仲だろう。古川柳四篇の最終回も男女の仲が題材となる。
 江戸時代に柄井川柳が選んだ「誹風柳多留はいふうやなぎたる四篇」の古川柳紹介。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。
 自己流の意訳を載せているものもあり、七七のコメントもつけているものもある。
 


紫は石の上にもいた女


617 紫は石のうへうえにも居た女  手がらなりけり手がらなりけり


 「手柄をたてた(手がら也けり)」のは紫式部が「源氏物語」を書いたこと。江戸の庶民はそう思っていた。「源氏物語」が書かれたのは1008年頃。その時代に世界ではどうか。800年頃に「千夜一夜物語」が書かれているが、これは複数の作者からなるだろう。ボッカチオの「デカメロン」が書かれたのは1348年。中国でも施耐庵の「水滸伝」が1400年頃。シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は1597年。
 一人の作者が描いた長編小説は「源氏物語」の時代に世界にはない。しかも女流文学。すごい。
 その紫式部は、大津の石山寺で「源氏物語」を書いたと物語を通して江戸の人は思っていた(一つの説)。「紫」は紫式部、「石」は石山寺。さらに「石の上にも三年」のことわざ。源氏物語を三年かけて書いたと思われていたこと(これも物語の中での説)もかけている。

 


かみしもの音ばかり聞く綿帽子わたぼうし


580 上下かみしもの音ばかりきくわたぼうし  たしなみにけりたしなみにけり


 「たしなみにけり」といえば結婚式。たしなんで、きちんとしようと心がけている。夫はかみしもを着て、妻は綿帽子わたぼうしをかぶる。綿帽子わたぼうしをかぶると周りが見えず、さらにウブな花嫁はうつむいているばかりなのでかみしもの音を聞くだけだ。

恥じらいを見せる花嫁過去のこと
今ではギョロリ夫を見てる


 

しゅうとめの気に入る嫁は世が早し


629 しうとめの気に入る嫁は世が早し  はたらきにけりはたらきにけり


 「働いて働いて(はたらきにけり)」姑に気に入られた花嫁は過労死なのだろうか。早く亡くなってしまった。
 結婚は、男と女だけの問題ではない。夫の家に「とつぐ」というように「」は「家の女」と書く。夫の家庭という会社に就職したようなものだ。その会社はブラック企業が多い。もともと働き者の嫁だったのか、それとも気に入られようと無理に働き過ぎたのか。



間男が抱くと泣き止む気の毒さ


671 間男がだくとなきやむ気のどくさ  どうぞどうぞとどうぞどうぞと


 父親が抱いても泣き止まない子が、父親の留守にいつもやって来る間男が抱くと泣き止む。困ったことだ。
 男は岡場(遊女街)で遊び、女も家庭内で浮気をする。男女ともに性を謳歌していた。

あの男我が子を抱いて泣き止ます
どうぞどうぞと子どもも渡す

 人間関係は複雑だ。「知らぬは亭主ばかりなり」かもわからない。周りから見て、「なんだ、あの夫婦は」と思っているのかもわからない。「亭主が気の毒だ」と思っていたのかもわからない。人と人がいて、そこに生活がある。この夫婦は、それでうまくやっているのだろう。綱渡りのような生活の中にも人生の楽しみがある。

 


 江戸時代の庶民の生活は、時代背景は違いながらも、現代に生きる我々と同じようなことを感じながら生きている。古典を学ぶということは、今を生きるための参考になることが多い。
 「誹風柳多留」は、名もなき庶民が、生きる上で感じた思いを五七五の言葉に乗せて詠んでいる。句を創ることによって、もやもやした気持ちが晴れることもある。荒唐無稽な「八犬伝」を読んでスカッとする読後感を覚えるのと同じように気持ちが浄化されるのだろう。
 「誹風柳多留」は、まだまだ続けて作られる。 


タイトル画像は、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」より、火遁かとんの忍術も使える犬山道節どうせつ忠与ただとも。「忠」の玉を持つ八犬士の一人。 

犬山道節



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