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川柳徒然 間男に一言もない世話になり 柄井川柳の誹風柳多留四篇③

 男と女。男と男、女と女の密接な関係も昔からあったが、男と女が夫婦の基本となるのは変わらない。夫婦関係は江戸時代も今も変わらない。その生活の機微きびが川柳に詠われる。

 江戸時代に柄井川柳が選んだ「誹風柳多留はいふうやなぎたる四篇」の古川柳紹介。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。
 自己流の意訳を載せているものもあり、七七のコメントもつけているものもある。

 


他人には響かぬ乳の恥ずかしさ


442 他人にはひゞかぬちゝのはづかしさ  たまたまなことたまたまなこと


 昔は「もらい乳」といって、おっぱいが出にくいとき、おっぱいをもらって子どもに吸わせていた。よく乳の出る女性が他人の子におっぱいをふくませたら、「たまたま(たまたまなこと)」全然出なかった。あれ、恥ずかしい。という句。
 昔はほ乳びんなんてないのだから、もらい乳は直接おっぱいを吸わせる。「乳母うば」という仕事も、出産後の乳が出る女性が、身分の高い女性に代わって、その子におっぱいから直接乳を飲ませる。子どもにとってはむしゃぶりついたおっぱいの持ち主だから、乳母は特別な存在だった。
 スキンシップによって、子は母を特別な存在として認識し、また、母や乳母も子として認識する。
 乳母の子どもも同じおっぱいを飲みながら、自分と一緒に育つのだから、「兄弟」として、主従ではあるが兄弟のような特別な存在だった。

 


女房は途中で会ってさぬもの


466 女房はとちうとちゅうであつてさぬもの  にわかなりけりにわかなりけり


 町の中で「にわかに(にわかなりけり)」ばったり女房に出会った。照れくさくてさえないなあ。他の女性なら、偶然出会えばときめいただろうに。

女房に町で会ってもときめかず
結婚前の心はどこに

 


間男まおとこ一言いちごんもない世話になり


487 間男まおとこ一言いちごんも無いせわになり  もらこそすれもらこそすれ


 旅の留守に一言も言えないほどの世話になった。その相手が女房の浮気相手の間男まおとこだった。前句が「もらいこそすれ(もらひこそすれ)」なので、お金ももらって世話になったのだろう。

生活費それに妻まで世話になる
金でつながるあやうい関係

 江戸時代の夫婦関係もさまざま。人間関係もさまざまなので、この夫は、たぶん裕福でもないのに女房を残して長旅に出なければならなかったのだろう。その女房が生活も性も世話になった間男。返す言葉がないだろう。と、そんなドラマを連想させる。
 その後、二人はどうなったのだろう。現代にも通ずる男と女の物語。

 


あくる晩女房を叱る旅疲れ


489 あくる晩女房をしかる旅づかれ  すきなことかなすきなことかな


 前句が「好きなことかな」なので、旅帰りの夫婦が好きなもの、というより女房が好きなもの。うん、エッチやろ。旅帰りの夜に久しぶりのエッチをした。句は「あくる晩」だから、エッチの翌日も女房がやりたがるので、旅疲れの夫は「今晩はもうダメだ」と叱っている。

昨日しただから今夜はもうだめだ
旅の疲れがこたえる年齢

 昔は一日に何回もできたのに、もう連日はできない。加齢とともに体力がなくなる。
 とはいうものの、この「誹風柳多留四篇」が出たのは、1769年。同じ時代に生きた小林一茶(1763~1827)は52歳で初婚。54歳のときの日記には、8/8「夜五交合」12「夜三交」15「三交」16「三交」17「夜三交」18「夜三交」20「三交」21「四交」と、8月8日は5回、12日は3回、連日に渡って複数の「交合」をしている。すごい。
 いつの時代でも、いろんな人がいて当たり前。

 


 タイトル画像は、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」より、犬塚信乃の友人、犬川荘助そうすけ義任よしとう。父の切腹、母の死後、信乃の家の使用人となっていたが、同じ玉を持つことから義兄弟となる。
 「義」の玉を持つ八犬士の一人。 

犬川荘助



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