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言葉の蛇口〜人は向い合うから分かり合えない③

人は向かい合うから、分かり合えない。
なぜって、私たちは見ることよりも見てもらうこと、聞くことよりも聞いてもらうことを求めているから。
そうやって、自分の姿を大きくしたり、自分の声を大きくするので、相手の姿は見えないし、相手の声は聞こえない。分かり合いたいという願いを叶えるために、まずは自分のことを理解してもらおうとしてしまうの。
分かり合いたいと言いながら、実際には、分かってもらいたい、見てもらいたい、聞いてもらいたいと主張している。
見えているのは、相手の顔じゃない。
「見てもらいたい」と訴える自分。
「見てもらえない「と嘆く自分。
満たされない自分の姿が大きすぎて目の前の相手が見えないの。
「分かってもらいたい」という主張は、「あなたは分かってくれない」という主張と同じだから、そんな風に向かい合っていても、分かり合うどころか、相手にたいする不満が大きくなるだけよ。
でもそれって、私たち自身の問題でしょ。
相手にはどうしようもないことなの。
満たされない自分の姿を小さくする方法は、
相手に求めることをやめて、自分の方から与えていくしかない。
自分の方から声をかけてゆくの。
自分の方から手を差し伸べてみるの。
最初は、与えている自分の姿が大きく見える。
多くを奪われている自分の姿が見えるのよ。
でも、そこでやめたらダメ。
そこでやめたら、あなたの目の前には、多くを奪おうとする人がいることになってしまう。
そこでやめたら、あなたの持ち物を全部奪われてしまう。
与え続けてみるの。報われなくても、声をかけ続けてみるの。
そのうちに相手の姿が見えてくるわ。
私達の言葉や行動を喜んでくれる相手の姿が見えるの。
目の前にいる人の姿が見えるとき、報われない自分、見てもらえない自分の姿は小さくなっているはずよ。そして、多くを与えられてきた自分の姿が見えてくるの。
お互いのことが見えるようになったとき、私達は、与えられてきた自分、守られ、許されてきた自分のことを見る。
満たされてきた自分、愛されてきた自分を見る。
そして、共に生きてゆこうとする相手が見える。
それって、嬉しいことでしょ。
「見てもらいたい。」「聞いてもらいたい。」「分かってもらいたい。」
それはみんなが願っていること。願っていながら叶えられなかったこと。
だからこそ、目の前の友人が、自分と同じようにこの願いを抱いているのだと知っておく必要があるのだろうね。


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