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隠し持っていた『作品=長編小説』をnoteで(小分け&横書きで)全文公開してみて思うこと。【#磨け感情解像度】

先日、ついに&無事に『くちびるリビドー』を全話アップすることができた。note版では【全20話】、物語の流れに合わせて5000文字くらいの回から3000文字くらいの回まで、実は全文無料になっているものもチラホラあったり、そのときの話の雰囲気やエネルギーに応じて直感的&流動的に、内なる美意識に耳を澄ませながら、何かに追われることなく “マイペースにコツコツ丁寧に” を心がけながら、公開していった。


毎回自分でも読み返すのだけど、とにかく「縦書き」だったものを「横」にするのが感覚的になかなか慣れなくて、いかに自分が『本』というものを愛しているか、自分にとって “特別” 且つ “自然” なものなのかを、再確認させられる日々だった。やっぱり、どう考えたって私には、“「小説」は『本』で読むもの” なのだ。どこまでいったって(時代がどんなふうに進もうと)、もうそれは死ぬまで変わらないのだと思う。だから……ネット上に自分の作品=小説を「横書き」で、しかも「小分けにして」アップするという作業は、なんだかとっても“違和感”で、最後まで「やっぱり『本』で読んでほしいんだよなーーー」という気持ちが消えることはなかったし、募り続けるいっぽうだった。

もちろん、やるからには、その中での「最善=今の自分にとってのベスト」を尽くしたわけだけど、「有料」に設定している時点ですでに、全文を読んでもらう機会はぐぐぐぐぐっと減るわけで…………正直この“不毛感”みたいなものをどう扱ったらいいか、それも含めて今の私は、ただただ「観察」しているのだが……。



多くの人に読んでもらいたいわけじゃない。ただ、必要としてくれる人のところに届けるには、知ってもらうには、「数字」の力が大きいことを痛いほど&うんざりするくらいに知っている。

だけど、そして本音としては “だからこそ”、「守りたい」と思った。

うまく伝えられるかわからないけれど……「金のため」というより、“場”を、この“空間”を(つまりそれは作品の中に宿っている“空間”なのだが)、私は無料で得られるだろう機会を捨ててでも、「守りたい」と思った。ケチケチしたくて「有料」にしたのではない。……でも、こんなのは言葉にすればするほど嘘っぽく響くのだろうか?(だからって「本心」を明かさぬまま誤解されるより、言ってしまった方が……私の気持ちがスッキリするから、私は言葉にしちゃうのだけど☆)


【第1話】は無料で開放中☺︎/* 全部で400字詰め原稿用紙270枚くらいの作品です(note版は【全20話】でお届け)。ここでしか読めない「創作こぼれ話」なども気ままにアップ予定。縦書き派なので、PDFでの公開など、いろいろ検討→実行していきます♪ ※安心安全の守られた空間にしたいので有料で公開しています(プレゼント希望の人、いたりしますか?笑)。一冊の『本』を手に取るように触れてもらえたら嬉しいです♡



『長編小説』を、ネットで、小分けにして、(個人的には)横書きで、読んでもらおうとすること――。

難しいね。


この一言に尽きる。今の私には。

だからって「可能性」をあきらめたくはないし、だから愛を込めてやるだけやったし、でも不毛だし、思うことは「本にしたい、本にしたい、本にしたい」で、“『本』にして《買って》読んでもらいたいんだな” って、自分の気持ちが(もちろんそれはわかりきっていたことだったけど、ますます、本気にさせられる感じで)よぉーーーーーーーく、わかった。「実験→実感」だ。


実験。実感。体験。体感。


そうこうしていたら、最終回の公開を待たずして、こんな発見? 新情報? のゲットにも成功。
なんだって、動いてみるものだよね(じっと待つのもアリだけど、まずは動いてみなくっちゃ、“流れ” や “波”は生まれない)。そして「体験」こそが、この命の……醍醐味??



可能性。可能性。……作品の、最大限の「可能性」……。

私はもちろん『本』を創りたくはなったけど、これが本当に“最大限の”可能性になるかは、今のところ、かなり……謎。

でも、1つの「可能性」には違いない☆






『長編小説』というものは、全部読んでもらって初めて「届くか/届かないか」の判断が下される(べき?)ものだと思う。それを小分けにして、さらに有料部分と無料部分とに分けて、ほんの一部だけに触れさせて少しでも何かを感じ取ってもらおうとすることは(しかし作品はすでに完成していて)、なんというか…………ものすごぉーーーく、「魂を切り売りしている」みたいな感じがした。

しかも手応えは、はっきり言って「ゼロ=0=無」。

わりきれないな…………というのが今のところの本音かな。


noteで、『長編小説』。
短編やショート・ショートのように「短時間で」ゴールまで辿り着けるものでもないし、漫画のように「絵で」見せるものでもない、相手の「読む」という能動的な行為が必要不可欠で、さらには「多くの時間」と「想像力」を要する………

しかもこの「時短」「効率」が重視される時代に………

……うん。だけどね、だけど。「だからこそ」&「そんなことなど関係なく」、どこまでいっても『物語(できれば長くて良質な)』を欲している人は必ずいて、どんなに売り上げが落ち続けてるって言われようと “『本』がなくちゃ生きていけないの!” って人はまだまだ絶対に一定数いて、それはどんなに時代が変わろうと、そして変わっていくからこそ、消えることはなくて……。

全然うまく伝えられないのだけど。


「時間をかけた作品がおもしろいとは限らない」と、あなたは言うかもしれない。

でも「時間をかけなければ提供(到達?)することのできないものがある」と私は言いたい(言わせて)。「時間」と「エネルギー」と、言葉にすれば胡散臭く&薄っぺらくなる「愛のようなもの」とか「魔法としか表現できないもの」とか。そういうものは短時間でパパッと消費・消化できるものじゃないし(けどそういう「簡単でわかりやすいもの」の方が人気があることは知っている。時短と効率)、受け取る側にも同じように「時間」や「エネルギー」を要求する。

だけどね、私は、「お金も時間も損した」って想いだけはさせたくないんだ。それが私の考える、最低限のマナー。「届くか/届かないか」「好きか/嫌いか」「消えていくだけか/また手に取りたくなるか」は全部、相手が決めること。私は自分のベストを尽くすだけ。


だから――

「信じて」


と、いつだって言いたくなる(小さな声で)。


そう、いつだって肝心なのは「信頼」を得られるか、それが最初の鍵となる。

と、これは『砂漠を横切るラクダのように』の冒頭部分の一説。



あの頃から、大切なものは変わっていない。守り抜くことに成功している。

それに『作品』は進化している。私がそれを望む限り、自分自身を成長させることはできるはず……と相変わらずばかみたいに思っている。

「変わらないこと」と「変わり続けること」の、両方がある。いつだって、“ここ”に。


だから――?

だけど――??

それでも――???






さて。

本にもなっていない『長編小説』を、しかも何者かもわからない、数字で判断する限りは全然「人気者」なんかじゃない“誰か”の『長編小説』を、どうやったら “正しく” 届けられるのか――。

(この“正しさ”って何? と自分に問う)

今はまだ出会えていない、けどどこかできっと待っててくれているはずの「あなた」のもとへ――。


やるだけやったら、観察してまた「次」なのか、じっと「待つ」ようなことも必要なのか、考えすぎることなく柔軟に、動き続けていきたい。
届けることを、あきらめたくない。あきらめない。




☆ ☆ ☆




これを書いたのは、2020年3月20日。あれから三ヵ月の時間が過ぎた。……三ヵ月? もっとずっと前のことのように感じるのは、世界が急変したからではないはずだ。
長い、長い、ひとりきりのこの道。

そして今回のこの「note非公式投稿コンテスト『#磨け感情解像度』」のことを知ったのは、なんと昨夜のこと。キナリ杯の存在を、すべてが終わったあとに知った私だったけど、今回はギリギリのところで間に合ったというわけか。それにしたって、ギリギリ過ぎ。ゆうべは頭の中がぶんぶん回って、うまく眠れなかった。

――何を、書く? 何を、書けばいい??


『cakesクリエイターコンテスト2020』の中間発表に自分の名前がなくて、どんなに慣れていてもやっぱり心が死んでしまい、大好きな〈5月〉はまるで透明、この〈6月〉なんかまったくの“無”みたいだった……と思いながら、それでも「あきらめたくない。あきらめない」は消えることがなくて、今日もまた、こうして手を伸ばす。

誰かがタッチしてくれることを、手を振り返してくれることを、私は相変わらず、何度砕け散ったって、想い描ける。

「そんな私だからこそ、届けられる『物語』があるんだよ」と言う。言い続ける。

だって――この『物語=作品=長編小説』の可能性を、私が信じなくて誰が信じる? 誰に信じてもらえる??


そんなことばかり、綴っている。
一番にやりたいこと(それは『物語』を創造すること)以外の私の文章は、もうずっと同じことばかりだ。
それでも&その中で、変化と成長。

「この道を、叶えたい」

そう思えるうちは、まだまだ可能性を模索し続けるのだ。何度心が死んだって。


もし、この文章の中に『私』という光が見えたなら、あなたの心に、何かがチカチカ届いたら、この『物語』の扉(第2話)をノックしてみてはくれないだろうか。


『物語』の中でなら、時間も空間も飛び超えて、何度でも――、会える。
そういう魔法のかかった、スペースのある作品を、私はこの世界に提供していきたい。もっともっと「普遍性」を、追求・追究していきたい。

(……そうだよな。そろそろまた再生しないとな……)


肉体が終わりを迎えるまでは、何度死んでも蘇る。自分で自分を、生き延びさせる。

そのための知恵を、私は今日もこうして発動させる。




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自己紹介

noteのつづけ方

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆