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あの頃の大人

昨日の晩、突然に友達と出掛けることになりました。その子とは中学3年の時に同じクラスで、部活も一緒でした。
半年ぶりだったのですが、中学時代を懐かしむ話に終始しました。


ノンアルコールのカクテルを飲みながら「あの頃みたいに怒る元気はないな」と言うと、「部活の時いつも怒ってたよね」って言われてしまいました。
そう、仰る通り。私、あの頃先生やクラスメートや朝礼に対していつも怒っていました。何を怒っていたのかもう思い出せないほど、本当によく怒っていました。今となってはですが、あれが私の反抗期のようなものだったのでしょう。


今は――あの頃に比べればですが――何かに腹を立てることも少なくなりました。嫌いな人とも表面上は笑顔で話せるようになりました。
確かに人間関係は昔よりも楽になりました。争うことも少なくなりました。けれどあの頃の私には、世の中がもっと輝いて見えていたように思うのです。
正直で真っ直ぐで変化球など知らなかった私。それを子どもだったと言うのは簡単です。でも、自分の感情をセーブして自分と周りに嘘をつくことが上手になって、これを本当に大人になったといえるのか自信を持てないのです。
これが社会だ、これが現実だと諦めることも知らずに、ただただ真っ直ぐに不条理にぶつかっていたあの頃の私は、『そんなの大人じゃない』と言いそうに思えるのです。


あの頃、大人になったら自由になれるのかと思っていました。大人になったら好きに生きられるのかと思っていました。
でも、目に見えない鎖が年々増えて、それが私を縛るのが分かってきて、自由を求めると変な目で見られるのが分かるようになってしまって、もう私はそれらと闘うことが正しいのかどうか問い掛けることすらしなくなってきそうなのです。


あの頃に大人になることを願った夜の数だけ、私は自分に問うのです。大人になるってなんなのですか。



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