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短編小説:「あの夏の正義」

【前書き】

皆様、お疲れ様です。
カナモノさんです。

またまたお久しぶりです。
今回は終戦記念日というお題を頂き、大変恐縮ながら書かせて頂きました。
皆様に何か届くことを信じて。

内容は重いですが、楽しんで頂けると幸いです。


【あの夏の正義】

作:カナモノユウキ


お盆になると必ず精霊馬(しょうりょううま)を作る。
そうして先祖を迎え入れ、個人を偲ぶ。日本人の素敵な伝統だと私は思っている。
始めた切っ掛けは、祖父が熱心に精霊馬をお盆に飾っていたことだった。
何個も、何個も。何個も、何個も。
作り過ぎてお祖母ちゃんに怒られるほどだった。
私は一度祖父に聞いたことがある、何故そんなに用意するの?と。
だが祖父は少し悲しそうな笑みを浮かべて「これでも、足りないんだよ。」と頭を撫でてくれた記憶がある。
その熱心に作る姿が忘れられなくて、私は祖父が亡くなった今も精霊馬を毎年作っている。
「今年は、お爺ちゃんに会えますように…。」そんな願いを込めながら。
お盆休み二日目、実家に帰省した翌日の朝。目の覚めるようなことが起きた。
「おはよう、あさこ。」
「え!?お、おじいちゃん!?」
「どうした、朝飯が冷めるぞ?」
お盆の朝、亡くなったはずの祖父が居間でお茶をすすっている。
寝惚けたかと目を擦っても、起きていることに変わりはなかった。
「え…どうしたの?なんで?なんでなんで!?」
「あさこ、昨日ここに来るなり精霊馬作ったろ。アレに乗って帰って来たんだよ。」
「…すごい、本当に帰ってくるんだ…。」
「何だ、帰ってきたらまずいのか?」
「そんなことある訳ないじゃん!…会いたかったんだよ、おじいちゃん。」
「あぁ、俺も会いたかったぞ。あさこ。」
おじちゃんはクシャッと笑って、また私におはようと言ってくれた。
もう二度と見られないと諦めて、でももう一度見たかった、夢にまで見たその笑顔。
そこから、私の忘れられない…いや、忘れてはいけない夏休みが始まった。


―――まるでタイムスリップしたかのように、はしゃいでいた。
雄大な大地、北海道の空知地方は一面畑が広がっていたり、長い一本道がどこまでも続いていたり。
自然と人が共存する豊かな土地だ。祖父はそこが大好きで、よく私を連れてドライブをしてくれた。
今は、逆に私が幽霊の祖父をドライブに連れ出しているけど…。
「見て見て!あの木!懐かしいね!みんなで小学校の時ドライブに来てあそこでお弁当食べたよね!」
「良く覚えて居るな、確かに…あの木だったな。」
「このまま走ったら、夕張だね。」
「あぁ、夕張にもよく遊びに行ったな…どの景色も…懐かしい。」
私が楽しそうに話すと、祖父も笑ってくれてはいたが…どこか悲しそうな顔を浮かべていた。
ひとしきりドライブを楽しんで、実家に戻る私たち。
残念ながら、実家暮らしの祖母とお母さんには見えないようで。
ただいまと帰っても、祖父に向けては何もない。
物悲しい気持ちの私を、祖父はこれでいいんだと慰めてくれた。
その夜、私たちはアルバムを見ながら昔ばなしをした。
「懐かしい…おばあちゃんもおじいちゃんも、凄く若い。」
「凄くって言っても、もうこの頃で四十に近い…若いなんて歳でもないさ。」
「でも見た目は凄い若いよ?…四十でも十分モテそうだし。」
「んなこと言われても、嬉しくないわな。」
「おばあちゃんとはいつ出会ったんだっけ?」
「二十歳ぐらいかな、住友の炭鉱で働いている頃だな。」
「…ねぇ。おじいちゃんって、生まれがこっちじゃないって…本当?」
「本当だよ、こっちに来たのは十六才だった。こっちの炭鉱で働くことになって、北海道に移住したんだ。」
「その前は、どこに居たの?」
「広島だよ。あさこも、教科書で見たことあるだろ。」
「…どうしてこっちに来たの?」
「……話せば長いからな、明日…聞きたいならゆっくり話してやるさ。ほら、今日はもう遅い、早く寝るべ。」
そう言って、祖父は私の頭を撫でて部屋から出て行った。
私は少しそわそわしてしまった。
祖父は戦争のことをとても熱心に調べていて、遺品は山の様な戦争に関する書物と。
自分で調べたのであろう、色々な新聞記事のファイルばかり。
祖父の原点、それが戦争なのは分かっていた。
だからその原点に、私は軽々しく触れてしまった気がしたんだ。


―――翌朝、祖父が仏間で自分の遺影を見ていた。
「俺は、こんな顔していたんだな…。」
「…おはよ、おじいちゃん…どうしたの?難しい顔して。」
「いや、俺は…こんな寂しそうな顔していたんだなと…なぁ。」
「寂しそう…かぁ、私は…悲しそうに見えていたな…。」
「…そうか、悲しそうか…。」
祖父が胡坐を解いて、仏壇の精霊馬を見つめて私に言った。
「あさこは、昨日聞いたな…こっちに来た理由を…。」
「…うん。」
「俺はな、あさこ。全てを捨てたんだ。あの頃を、あの夏を。全てを。でもな…焼き付いてんだ。
 あの時、あの景色が、あの臭いが…あの光と闇が…捨てようとしても、焼き付いて離れやしない。」
「…おじいちゃんは、あの景色を見たんだ…。」
「あぁ…死んでもなぁ、あの夏が剥がれねーんだ。…あさこ、お前に見せても…かまわないか?」
「…見せるって、どうやって?」
「眠るだけでいい…あとは、じいちゃんが連れて行ってやる。」
そう言った祖父の言葉が遠く感じて。
気付いたら、私は暗闇の中で倒れていた。


―――「あさこ、おい、あさこ。」
声が聞こえて目を覚ますと、暗い空間に祖父の声だけがこだましていた。
「おじいちゃん?ここ…どこ?」
「ここはな、防空壕だ。」
「え?…なんで?」
とても暗く暑い、言葉で知っていた場所が…まさかこんなに暗いなんて…。
戸惑っていると、誰かの手が私を引っ張ってくれた。
「大丈夫か?…暗いだろ、ここでみんな、空襲が終わるのを待っていたんだ。」
「…ここで…。」
「さぁ、街へ向かおう。」
祖父の手に導かれ、私の目の前に広がった景色は…見た事もない懐かしさと…活気だった。
道にははためく日本国旗、これでもかと人が溢れていて…戦時中のイメージとはかけ離れていた。
「ここが、あの頃の広島だ…本通り商店街は東京にも負けないぐらい人で溢れているだろ。」
「…あの景色しか知らなかった。…こんなに、人が…。」
「…これがな、失われる前の景色だ…。」
「あれは…床屋、あそこは…雑貨屋に仕立て屋。お店っていっぱいあったんだね。」
「老いも若きも…戦争が終わって平和を勝ち取ることを信じて、活気を失わせない様に精一杯だったんだ。」
「…ねぇ、あの走ってくる子供…おじいちゃんに似てない?」
「あぁ、アレは…俺だ。」
短パンに肌着姿の少年、活発な姿は今の祖父からは想像がつかない程元気に見えた。
颯爽と駆けていく子供の頃の祖父、それを追いかける私たち。
辿り着いた先は、路地裏の奥にある小さな一軒家だった。
「あそこが、俺の実家だ。」
「…おじいちゃんの、家。」
中に入ると、おじいちゃん以外にも沢山の子供が居て…みんなで楽しそうに食事の準備をしていた。
さつまいも、かぼちゃ、それを煮込む子供たち。
小麦粉に水を加えてこねる子供たち。
恐らく釣ってきた川魚であろう、それを七輪で焼く子供たち。
そして、祖父はその中でとても嬉しそうにお米を洗っていた。
「あの頃はな、お米なんて高級品で…みんなで食べることなんて出来なかった。」
「あのお米は…どうしたの?」
「貰ったんだ…息子を戦争で亡くした、お婆さんからな。アンタらが食って、元気で居れば…息子が喜ぶとな。」
「ここには…子供は何人いるの?」
「十三人…下は五歳、年長は俺で十一歳だった…。」
食事が出来上がり、奥の部屋から病弱そうな女性が子供たちの呼び声で出てきた。
「あの人は俺の母親だ、体が悪いくせして面倒見がよくてな…そして、この孤児院の園長みたいなもんだった。」
「孤児院?…こんな状況で?」
「まぁ、孤児院なんて聞こえのいい言葉はこの頃なんて無かったよ、身寄りのない子供をうちの母親が勝手に集めて、可哀そうだと面倒見ていただけだがな…たった三ヶ月で、十二人も集めたときは流石に驚いた。」
「…なんで、戦争中なのに…。」
「戦争中だからだ…、こいつらは…ほっとけば悲しさと苦しさで野垂れ死ぬ。それを助けるのは、人間として当然だ。」
「…そうだけど。」
私は、少し分からなかった。
一軒家と言っても、とても狭く…子供とは言え人が十五人も暮らせる広さではない。
そんな環境下で子供を拾って養う…しかも戦時下で…。
「最初はな、一人の女の子…かな江からだった。空襲で家も家族も失って、広島駅に命からがら辿り着いた子供。それを見た母さんは、ほって置けずに連れて帰ったんだ。その子は口も利けず、足も不自由になっていた。相当怖い目にあったのか、たとえ子供とは言え…他人の人生は計り知れないよな。でもそうした目の前の苦しみを、見過ごして暮らすほど…私たちは…強く生きられなかったんだ。」
「…他の子も、同じように?」
「あぁ、見てごらん。あの鍋を囲む三人、小太郎と友安、勇太は父親一人で暮らしていたが…戦争で父を亡くし。身寄りの当てにした家も空襲で失った。魚を焼く光太と聖也、それに引っ付いているのは花子に友江。あの四人は、母親を亡くして、戦地からも父親は帰ってこず…路頭に迷っていた。小麦粉を練るあの三人、成太に智子に和重…あの三人はそもそも親に捨てられたんだ、母親が夜逃げしてな。俺とかな江は…母親が子供を連れて帰る度に、頑張ったなと抱きしめて…必死こいて食べ物用意したもんだ。」
祖父の話を聞きながら、私は光景の温かさに…逆に苦しくなった。
目の前に広がるのは、正しく家族だった。助け合い、支え合い、目の前のことに必死な…。
ここが、あの悲惨な現場と化してしまう現実が…待っている。
「…これも、明日になれば…終わりだ。」
「…明日?ここは…あの日の前?」
「そう、あの日の前…そして…俺が後悔している夜だ。」
料理が出来上がり、皆が席に着く。「いただきます!」の掛け声で、皆楽しそうに食事を始める。
さっきの話からは想像もできないくらい…明るい表情だ。貴重品のお米は、数分で空になり。
みんなの笑顔に消えて行った。
「俺は、この時から…この生活の限界を感じていた。そしてこの夜…俺は馬鹿なことをしたんだ。」
「バカなことって?」
「見てれば分かるさ…。」


―――夕食後、祖父は皆の目を盗んで家を飛び出した。自転車で向かった先は農家…。
「家族を食わすためには…盗みをするしかない程、あの家の現実は甘くなかったんだ。」
夜の畑は、とても暗く足もとが悪い。それでも何とか野菜を見つけ出しては、持参したかごに野菜を入れる。
その表情は…とても言い表すことなんて出来ない程…歪んでいた。
「この後、俺は一人の駐在に見つかり詰められた。…だが、優しい人でな。げんこつ一発でかたを付けてくれた。野菜は返しといてやると…そして、その時に空襲の警報が鳴った。」
駐在に肩を引かれ、防空壕で一夜を過ごす祖父…落ち着かず、心配そうに何度も何度も立ち上がっていた。
その度に大人に止められていた。警報は二回鳴り、その度に苦渋の表情を浮かべていた。
「気が気じゃないとはこのことだった…、みんなに心配かけていただろうからな。二度目の警報解除が終わった後、明け方まで駐在所に留まることになってな…家に向かう頃には…もう遅かった。」
祖父が自転車を飛ばして広島に向かっている最中…三度目の警報が鳴っていたが、父は無視して自転車を飛ばした。
そして、もう少しで広島の街が見えるところまで来たころだった…。
「よく見るんだ。これが、人の世界を地獄に変える光だ。」
快晴の空の真ん中で、急に太陽が現れたように感じて、その後の轟音と爆風。土煙が街を包み、状況は何一つ掴めない…青空はたちまち黒雲に包まれて、あの美しい景色は…一瞬で消えた。
「これが、あの日だ。」
「はぁ…はぁ…はぁ…、お…じいちゃん。あそこ…何?」
「広島だよ。昨日の晩、あさこが目にした街だ。」
「嘘だよ…あんなに…なるの?あんな…とこに…。」
「…進むぞ。この先に、進まないといけないんだ。」
私たちは、子供の祖父を追って広島の街に入った…。そこは、もうあの景色なんて何一つわからなかった。
爆風は建物を、木を、ガラスを、コンクリートを薙ぎ払い。
人々は、亡者のようだった。皮がただれた人、重度の火傷で顔面の皮が晴れ上がった人。
ガラスの破片で痛ましい姿になった人、老若男女…それすらも区別が難しい人々が、列をなして彷徨う大通り。
燃え盛る火の粉を掻い潜り、私たちは…あの家へ向かう。
子供の頃の祖父も、今の祖父も…まるで鬼のような形相で急ぐ。
朧気な街並みを捜し歩き、半日立ったころ。ようやく、それらしい…場所があった。
「…何度見ても、この景色は忘れない。」
「おじいちゃん…ここじゃないよ、だって何もないもん。あるのは…潰れた屋根だけじゃない。」
「あぁ…でも、ここなんだ。」
家の前に、小さな子供の様な死体が…四体。
等間隔に、点々と倒れていた。
まるで、家から遊びに出た子供の様な位置関係…。
「あの先頭に居るのは、小太郎…その後ろが勇太。その後ろには花子と智子、二人は小太郎のことが好きだった。」
「…じゃあ、この下には。」
「…あぁ、俺の家族が…。」
それ以上、祖父も私も言葉が詰まって出てこなかった。
誰でも調べれば出てくる、原爆で被害を受けた人数は「約十四万人」…それでも「約」なのだ。
私たちは、何も知らない、何も受け取っていなかった。この苦しみ、この悲しみ、この憤慨を。
この「約」の中の一部が、祖父の家族だったのではないか、そう思うだけで胸の中で叫び声がする。
何で?どうして?…この地獄が生まれた理由を、何故生み出されなければいけなかったのか。
「あさこ、これが…あの日だ。原爆が落とされた、あの日なんだ。分かるだろ。この地獄が何を奪ったか。生活があった、明日があった、希望があった、家族がいた、生きていた。それが…あんな一瞬で、消えたんだ。みんな思っただろう、嘘であってくれと。でもな、日が立つにつれて現実の色が増すんだ。もう、無いんだと。そして、被爆以上の被害を感じ始める。…あの爆弾の被害以上の穴。デカく、埋まらない…心の穴だ。それは等しくみんなに出来ただろう、何をしても虚しい、何をしても悲しい。あの爆弾は、生き地獄も作っていた。もうなぁ……感情という感情が波を打って押し寄せるんだ。数日立ってそこに、終戦の知らせが入る…。正直な、日本の勝ちだとか負けだとか…どうでもよかった。俺には何もないんだから…。家族もない。家もない。ただ俺一人。知らせと同時に、全てを奪われたとういう喪失感しかなかったよ。…だから、俺は逃げた。」
「それで、北海道に?」
「家に仕送りをするために、徴兵を逃れた父親がこっちに出稼ぎに来ていてな。呼ばれたんだ。もう藁にもすがりたい思いで、こっちに逃げたんだ…。早く、あの日々を忘れたかった…。」
「…でも、戦争のことずっと調べて居たよね?あれは…どうして?」
「あれはな、本当にあの戦争が…あの爆弾が「正義」だったのか知りたかったんだ。」
「あんなの、正義でも何でもないじゃない…。」
「知っているか?落とした張本人のアメリカはな、あれを「正義」として受け止めているんだ。不思議だろ?人が山のように死んだのに、人を山の様に悲しませたのに…現実はそうかもしれないが、おかしいだろ?終戦した後、しばらくして俺は思い出したんだ…アレは何だったのかと。どうしても知りたくて、アメリカに行ったんだ…そしたらな、感謝されていたよ。原爆という正義の爆弾が。戦争を終わらせてくれた、原爆万歳と…アレは「正義」だったらしい。アトミックなんたらという玩具もあったな。もう…気が狂いそうだった、炭鉱で働いて忘れかけていた地獄が…帰って来たようだった。いや、違うか。あの時、思い知らされたんだ。忘れてはいけないと…あんなもの、「正義」と呼んではいけないと。だけどな、調べれば調べるほど分からなくなった。戦争とは、正義とは、アレは何だったのか…その意味が。ある側面から見れば、正義だった。ある側面から見れば、悪だった。みんなの「正義」が重なり合い、否定し合い。そして最後には、大きな悲しみを生んで、素知らぬ顔で「正義」だと声色高々に歓声が上がった…。俺はその歓声の陰で叫んだ、ふざけんな!殺してやる!…そんな思いだったよ。」
「…おじいちゃん、帰ろう。」
その言葉しか出なかった、私も、逃げるしかないと…思ってしまった。
祖父の思いは、痛くて、熱くて、締め付けられるほどで。この思いを、祖父は抱き続けて来たんだ。
祖父の顔は、また悲しそうな表情に戻っていた。
山の様に作っていた精霊馬、あれはきっと祖父の家族の分だったんだなと思った。
みんなに毎年会えるように、そして…謝っていたんだろう。ごめんなさいと、何度も繰り返すように。
一体一体、願いと贖罪を込めて。足りないとは、きっとあの場所で亡くなった全ての命に対してだったんだ。
「おじいちゃん、大丈夫。私は忘れない。…伝えて行くよ、この思いを。」
「……すまん。…ありがとうな、あさこ。」


―――気付くと、私は仏間に居た。
祖父は、笑顔で頭を撫でてくれていた。その表情からは、悲しみを感じなかった。
「おじいちゃんは、みんなに会えたの?」
「あぁ、会えたさ。元気に…飯食っていたよ。」
「そっか…。そうだ、おじいちゃん。来年は精霊馬、みんなの分作るからさ…みんなで来てよ。」
「そりゃいいな…みんな喜ぶだろうな。」
「みんなでさ、真っ直ぐな道を走ろうよ。」
「…そうだな。」
私が出来ることは、数少ないだろう。
だけど、忘れてはいけないことは分かる。
祖父の経験したあの夏を、「正義」とうたわれる悲しいあの日を。
忘れては、いけないのだ。


【あとがき】

最後まで読んでくださった方々、
誠にありがとうございます。

書く前に、勉強は否めないですが資料や情景を頭に入れたいと色々広島のことを調べていました。そして何枚かの写真を見て、怖くなりました。
子供の頃は、ただの怖いが大人に成った今現実味を帯びての怖いに変わっているのを実感しました。

そして、自分の他界した祖父の話や原爆を経験した方々のお話などを参考にしてとても言葉にできない想いを抱いているんだなと感じて、僕も胸が苦しくなりました。

僕の勉強不足で拙い言葉かもしれませんが、誰かに何かが届いたら嬉しく思います。

では次の作品も楽しんで頂けることを、祈ります。
お疲れ様でした。

カナモノユウキ


【おまけ】

横書きが正直苦手な方、僕もです。
宜しければ縦書きのデータご用意したので、そちらもどうぞ。


《作品利用について》

・もしもこちらの作品を読んで「朗読したい」「使いたい」
 そう思っていただける方が居ましたら喜んで「どうぞ」と言います。
 ただ〝お願いごと〟が3つほどございます。

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尚、一人称や日付の変更などは構いません。
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