思考する主体にできること
思考する主体が自らの努力によって可能なこととは、思考すべき問いを見い出し、その下に留まることである。
出会う事柄に対して何の問いも持つことがなければ、全ては目の前を流れ過ぎていく。
だがその中に自分にとって問うべき謎を見出し、問いを立て、そこから流れていくことなく留まることで、思考という活動が始まる。
思考活動自体はオートマチックなものである。思考する主体にとって可能なことは、思考を自らの意志によって紡いでいくことではなく、問いの内に留まることによって自然と訪れる閃きを逃さず