鍋、膝の上の娘

家族で鍋を食べながら子育てについて思った。

今、眠気で打たれ弱くなっている娘が膝の上に座って、僕の鍋への動線を遮りながら、美味しいね〜とニコニコしながら食べている。ちょっとでもヘタを踏めば一瞬でダダをコネ出すセンシティブな状況。娘の頭越しにチラつく鍋の中身。箸もなかなか届かない。。
鍋を自由につまみたいのに、膝の上にはウネウネ動く娘。
これは、幸せな状況なのだろうか、客観的には。
僕はイライラしてしまうけども。

子育てとは、つまりはこういうことなんだろうか。
僕のやりたいことに、子供のやりたいことが覆いかぶさってくる。
それは邪魔であると同時に、無自覚的な満足感を伴っている。膝の上の重さが、気付かれない幸福感となって、自分の利己主義にかすかにブレーキをかける。

祖父母が孫に甘くなれるのは、自分の子を育てていたあの時が幸福だったのだと、今になって気づいているからだろうか。

僕も、今この時が幸福なのだと納得できたなら、もっと娘や息子に優しくなれるだろうか。

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