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嫌いと言うこと

何かを「嫌い」と言うことは、自分を表現しているようでいて、実はそうではない。
それ(嫌いなもの)が自分には属さないと言っているに過ぎないからだ。
ある意味でそれは消極的な形での自己表現とも言えるだろう。自分に属さないものをあげつらっていくことで、自身の輪郭線を際立たせていく。
けれど、はっきりとしてくるその輪郭の内側に何があるのかということは隠されている。それを表現することこそ、本当の意味での表現だろう。
好き、と口にすることは、怖い。
それは輪郭の内側をひらいて見せることだから。
それが相手や、自身にとってさえ、たいしたものでなかったらどうしよう。拒まれてしまったら、笑われてしまったら、無視されてしまったらどうしよう、と。
否定ばかりするひとは、自分のことがわからない。自分に自信が持てないまま、おびえ続けることになる。
自分を、自身に、そして世界にひらいていかない限り、隠されたその「秘密」から不安が立ちのぼる。
強靭な鎧と信じているものは、細い細い針金のよう、薄い薄いガラスのようでしかないかもしれない。
自分を本当に守ってくれるものは、鎧ではなく、ひらかれた自分の「本当」に対して、他者そして自身から与えられる肯定なのだろう。他者にみとめて(見留めて)もらうという経験が、自分というものの存在を現実的なものにしていってくれる。


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