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今日も大事な話し合いの場に立ち会わせていただく。
何十年も丁寧に運営されてきた団体のステージが変わろうとしている話し合いの場。想像を超える大きな責任と覚悟、これからの願いと未来、届けたい人たちの顔と声が浮かぶ。
いろんな人たちの人生と団体の歩みが重なって、「いまとここ」が何十年も積み重なってつくられてきた場のこれからにみんなの意識が向く時間でした。
何百人の大規模なワークショップよりも、ずっとずっと小さな一室で小さな声で語られる話し合いだけれ
とあるお芝居の上映会の感想 -「対話」の視点から-
核のゴミについて扱ったとあるお芝居のDVD上映会が札幌で開催され、最後に「対話」の視点で感想を話して欲しいと頼まれてお話ししました。そのときの言葉を記録に残しておきます。
(上映会終了後)
セリフの言葉がたくさんで、登場人物の感情がたくさん入ってきて、ずっしりと重たい状態にいますが、私が普段仕事としている「対話」という視点で感じたことを少しお話しします。
お芝居に何度もでてきた「分断」は、説得
「対話の場」という言葉
---「対話」問われる透明性
これは今日の北海道新聞朝刊の19面の見出しの言葉
「対話の場」という言葉が新聞で毎日のように出てきます。寿都町と神恵内村で始まろうとしている「対話の場」についての記事です。私はファシリテーション講座では、会話と対話と議論の話をして、対話と議論の両輪がまちづくりに必要ですと話します。
その「対話の場」という言葉の意味や使われ方が濫用されていることに違和感と危うさを
「学校に行きたくない」からのギフト
8時20分のチャイムがなって朝の会が始まる時刻。
この時刻を過ぎると、子供達のわいわいと賑やかな時間とは、
まったく別の時間が小学校の校門や玄関で流れ始める。
背中を丸くして重たいランドセルを背負ってトボトボと歩く子。
その後ろにはお母さんが真剣な顔をしてそっと歩いている。
止まっている車にはお父さんが乗って見つめている。
しばらく玄関のあたりでお母さんと話し合っている子供の姿。
玄関のドアを
この状況で学んだことは?これからの暮らしにどう生かせる?
2020年5月25日
北海道の緊急事態宣言が緩和された。6月1日から小学校も再開する。もとの生活に戻るのではなくて、「新しい生活洋式」という言葉が言われ、感染を予防しながら、生活していくという暮らし方が提案されている。
引き続き、気をつけなきゃと言われ続けながらも、気持ちは少しづつ緩和されていくのだけれど、私はこの3ヶ月で何を学んだのか?は緩和していく前に、言葉にして残しておきたいと思う。
あなたのコミュニティにおいて、以前は不可能で今は可能なことは何でしょうか?
2020年5月6日
2年ほど前に「災害支援」という分野で活動が始まった時、これまで北海道という地域の枠組みやファシリテーションという分野の枠組みが大きく想像以上に軽やかに外れたことを感じた。たった2年ほどで全国の人達とやりとりが始まり、たった1年足らずで東京の全国フォーラムに参加している自分がいた。北海道を外から見ることができたし、ファシリテーションという分野での全国の人達とも距離がぐんと近くな
自分自身の生活でどんな変化に気づいていますか?以前よりもっと注意を払っているものは何でしょうか?あまり注意を払わなくなったことは何でしょうか?
2020年5月5日
今を記録しておきたいので自分への問いと今の考えを書き記しておく。
以前より注意を払っているものは、
子供達のこと。学校や保育園に行かなくなったいま、一緒にいる時間に何ができるか?どう過ごすか?何を作り、何を食べるか?テレビを見る時間はどのぐらいにすべきか?祖父祖母に会いに行くかどうか?これまで向き合ってこなかったことに向き合う時間を作り出している。
大事な居場所にきてい
2020年2月〜5月まで
忘れないように記しておこう。
2020年2月末から5月1日の今日までで私に起きていること。
2月28日北海道で緊急事態宣言が出る。テレビで鈴木知事をみていた。道内の小中学校に一斉休校を要請。札幌市は当初、3月6日までの休校を予定していたが、ほかの自治体にあわせ3月13日まで休校となる。我が家は夫の1年間お疲れ様をしていなかったこともあり、こっそり半額になった温泉旅館で家族の慰労会をした。この時期
「人と会って話をする」という最も大事なことが突然できなくなって
ずっと考えていた。
「人と会って話をする」という最も大事なことが突然できなくなった。想像以上にショックが大きかったのか、味覚がわからなくなったりした。
それでも子供達との生活リズムが毎日違ったり、母が入院したり、引っ越しをしたり、家族との日々の暮らしの忙しさの真っ只中にいるけれども、ずっと考えていた。
この状況のなかで、私たちはどんな活動ができるのだろうか。
ねえ、みんなはこの状況のなかで
ちょっと待ってください。その進め方は私にとってすごくストレスです。
私が住んでいる地域で誰でもが来れる居場所を作っているところがある。私は月に1回、そこで話し合いの場のお手伝いをしている。自分の子どもが小さい頃、よくここにきて他の大人に遊んでもらったり、私もほっと休ませてもらったりとたくさん助けられた大事な場所。ここは普段から話すことや聴くことを大事にしており、だけどなかなかゆっくり話ができないので、月1回お話しする場を作ってみないか?と2年前に提案してスタートし
もっとみる胆振東部地震から1年が経つ「今」
昨日は第2回目あつま町復興ワークショップのお手伝いでした。
ご縁あってご一緒した方々。
同じ町内だけど全く違うストーリーが語られていきます。
「誰かに話したいけど体験が違いすぎて話せない」
「わかりあいたいのにわかりあえない」
「被災当時の気持ちの中にいる人と次の復興を考えたい人との差はどうしたらいいんだろうか」
どこかで聞いたことがある話。
ああ、これは3.11後の福島のお母さん達から
Art of Hosting 札幌
AoHから一週間が経ちました。
終わってからも終わっていなくて、確かに目の前は日常があるのだけど香りがずっと漂っている。日常で出会う人たち、環境にこれからもずっとつながっていくのだろうと感じます。
この3日間の私のチャレンジは、
・ここには私にないものがあるはずと、逃したくないと思い、えいやっと飛び込んだこと
・自分で手を挙げたことに全力で取り組んでみたこと
・たくさんの人の目を見て、話しかけて