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あなたが信じているものはありますか?
「信じているもの」と聞くと、特定の宗教への信仰のようなものを想像するかもしれませんが、
今日のテーマにする「信じているもの」は「自分がいいと思っているもの」のような「他の人はどうかわからないけど、自分は信じているもの」というニュアンスで話していきます。
そんな「自分が信じているもの」と聞かれて、何が思い浮かびますか?
そもそも「信じる」ってなんでしょう?
こんにちは!Kanaです。
普段はジャーナリングアドバイザーとして、ジャーナリングを使いこなして幸せに近道するアドバイスやイベント講師、コミュニティ運営、起業サポートをしています。
「信じる」って私はすごく主体的な言葉だと思っています。
信じるって言葉を言い換えるなら「自分がこうだと思う」「自分はそれがいいと選択する」「自分の決断に覚悟を持つ」といった表現になるのかなと思って、
どれも主体的に、自分がどうしたいのか?を表現していると思いました。
もしかしたら、何かをされたから信じる、こういう条件だから信じるって受動的な場合もあるじゃん!と思うかもしれませんが、
それは「信じたい」であって「信じる」ではないと思うのです。
正解はわからない、だけど、私は信じる
という感覚なのかなと。
それはいわゆる神様や宗教的な何かではなくて、
日々の生活でも私たちは「何かを信じているから」自分の行動をしていると思うのです。
例えば、朝早く起きたほうがいいと思う人は「早起きの効果」を信じているはずです。
例えば、朝ごはんはお米がいいと思う人は「朝食は米がいい」と信じているはずです。
例えば、と例を挙げればいくらでも出てきます。
一つ一つの「自分がいい」と思って、取っている行動は「自分の信条」と言えるのではないでしょうか?
通勤時間は少ない方がいい、と思っているなら、それがその人の信条として反映されるから、職場の近くに住んだり、リモートワークを選ぶ。
そんな具合で、人は信じているもの、(あるいは「思い込み」とも言えるかもしれないもの)で日々の暮らしを選択していると思いました。
ところで、私はずっと人間不信で生きてきました。
人を信じたい、だけど裏切られてばかりきて、信じることができない。
信じたい、でも信じられない。
という日々がずっと続いていました。
信じられる人がいない、という状況は私にとって(おそらくは多くの人にとっても)苦しいものでした。
だけど、今の私の人生は苦しいものではなくなりました。
なぜか?
「自分を信じてあげられるようになった」からです。
人のことは正直心から100%何の疑いもなく信じているか?と言われれば、多分NOです。
旦那さんのこと、コミュニティメンバーのこと、唯一の友達のこと。
他の人よりはもちろん信じています。
でも、心のどこかで「他人は他人」と思っている冷めた自分が残っているとも感じます。
そうすると苦しい状況は何も変わっていないように見えますが、
今の私は「自分」を信じてあげられるようになったのです。
つまり、他人を信じたいと思う自分を信じてあげることで間接的に「他人も信じる」が達成されるようになったわけです。
(もし裏切られるとしても、自分が信じたいって思ったんだから、そんな自分を信じてあげよう!と思うと、結果としてその人を信じている理論)
さらに自分を信じてあげられるようになるとは「自信がついた」と言い換えられると思います。
自分の選ぼうとすること、決断しようとすること、大事にしようと思うもの、そうした自分自身の考えを「いいよ」とGOサインを出してあげられるようになりました。
この辺の話は過去のnoteでもあちこちに書いてきたことですが、
「自分がいいと思うことを、自分がいいと思ってあげる」って(ちょっと変な日本語ですけど、)意外とこの許可を出す感覚が難しいんですよね。
私がじぶん物語という講座の中で、受講生全員に必ず届けていることは「あなたの中にも必ず信条がある。だからそれを見つけて言葉にして、納得の人生を進めていこう」というメッセージ。
じぶん物語の講座は起業を目指す人がメインターゲットですが、実際講座を進める中で「起業がしたかったわけじゃない」と気づく人がいます。
それは自分が今まで「起業がいい」と信じさせられていた思い込みに気づいて、「起業じゃなくてもよかったんだ。会社員のままで私の信じてることはできる」と自分の本当に信じているものを再確認できたからなんです。
自分が本当に「信じる」と思えるものだけ、信じると覚悟できたものを人生に残していくことで、
あなたの人生はあなた自身のものに取り戻されていきます。
自分の人生の舵を、自分の手に取り戻すことで「思い描く」自分の物語を紡ぎ出せるようになります。
だからあなたもどうか
自分が何を信じているのか考えてみてください。
それは「何をしたいのか」の答えであり、「どんな風に暮らしたいのか」の答えでもあります。
「自らの人生をどんな物語にしたいのか」
信じることを深掘りしていくと見えてくると思います。
それがある意味で「自分だけの宗教」のようなものになっていくはずです。
自分だけの宗教を持っている人はより強固な自分軸があるということなので、もっと生きやすくなります!
例えば、”Kana教”はジャーナリングがいいと思っていて、動物が可愛くて自然豊かな場所が好きで、そんな好きに囲まれた場所で、マイペースに自由気ままに暮らすのが幸せって信じている
こんな具合であなたの今の暮らしで信じているものを見つけてあげます。
同時に「いらない」信じているものを手放すことも大事になってくるはずです。
親や周りの意見を聞かなきゃいけないと信じているとしたら、それはいらない可能性もあります。
「思っている」「考えている」より強い言葉として、「信じてる」の言葉でぜひ試してみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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