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人とちがうという事〜発達障害を抱える人たちの留学支援〜

みなさんは周りの人と自分とのギャップに悩んだことはありますか?

自分自身のことについて

そして

自分がこれから行う活動についてゆっくり書いていこうと思います。

私という人間について


私は、人とコミュニケーションをとることが苦手です。

周りの空気が読めなかったり、人との距離感が分からず失敗することがよくあります。

大学に入ってからたくさんのアルバイトを経験しました。

しかしそれらはそのせいか全部長続きしませんでした。

他にも原因としてミスの多さも挙げられます。

小さいころからケアレスミスが多く

当時は注意さえすれば問題ないと思っていました。

しかし

絶対完璧!最後までやり遂げた!

と思って確認しても、どこか抜けていて最後まで完璧にやり遂げることが出来ないことが多いことに気が付き、

それは自分の不注意のせいなのか

なんで出来た!と思ったことがいつもやり遂げることが出来ないのだろうかとそんな自分自身に悩んできました。

そして自分の中で

”こう!”

と決めたらあまり深く考えずに行動してしまうことがあります。

いいように言えば、

”行動力がある”

と言えるかもしれませんが思い立ったら衝動的に行動することが多く、

思ったことをすぐ口にしてしまったり

友達と会話していてもすぐ話題があちこちとんでしまったりして

あとで

「なんであんなことをしてしまったんだろう?」

「なんであんなことを言ってしまったのだろう?」

と、後悔してしまうことがよくあります。

また、忘れ物や物をよくなくしてしまいます。

当時は何も思わなかったのですが、(それも怖いですよね)

一か月で定期と学生証、家の鍵を二回なくしたり

今思っても一番驚くのですが

改札を出た瞬間に切符をどこにしまったかわからなくなり、自分が今どこにいて何をしようとしているのかパニックになって分からなくなりました。

(切符を探しましたが結局見つかりませんでした…。)

最初は忘れ物やバイトの事も笑い話にしてたいしたことではないように振舞って「もとの自分の性格」「自分が気にしすぎているだけ」だと

22年間、自分でもそう思いたくて気にしないようにしてきました。

しかし、いつも失敗するたびに

”次はこうしてみよう”

”今日はこれが悪かったから、次は絶対気を付けよう”

自分なりにもう失敗しないように反省するのですが

また同じことが繰り返されるたびに、

これは本当に自分の性格の問題なのか?と悩むようになりました。

そんなときに、あることがきっかけで

「発達障害」について考える機会に出会います。

発達障害について

みなさんは発達障害という言葉を聞いたことがありますか?

発達障害とは、生まれつきの発達のアンバランスさによってそのひとの日常生活に困難をきたしている状態のことです。

特定のことには素晴らしい能力を発揮する一方、ある分野では極端に苦手といった特徴がみられます。

こうした得意なことと苦手なこととの差は誰にでもあるものですが、

発達障害がある人はその差が非常に大きく、

そのため生活に困りごとが表れやすいのです。

現れてくる困りごとや認知の特性によって、次の3つに分類されます。

1.ASD(自閉症スペクトラム症候群)

「コミュニケーションおよび相互関係の障害」 人の気持ちを理解するのが苦手、冗談や比喩が理解できない、興味のあることを一方的に話し続けてしまう、非言語的なサイン(表情・目配せなど)を読み取るのが困難 など
「同一性へのこだわりや興味・関心の狭さ」 日課・習慣の変化や予定の変更に弱い、特定の物事に強いこだわりがあるなど
「その他の特性」
聴覚・視覚・触覚など感覚の過敏性を伴うこともある

2.AD/HD(注意欠如・多動性障害

「不注意」
物をなくすことや忘れ物が多い、人の話を一定時間集中して聞けないなど
「衝動性」
予測や考えなしに行動してしまう、相手の話を待てないなど
「多動」
じっとしていられない、動き回る、しゃべりすぎるなど

3.LD(学習障害)

「読む」「書く」「計算する」などの特定の分野の学習だけが極端に困難

発達障害は成長過程やそのライフステージなどで

困りごとや特性が強く現れ、初めて分かるケースがほとんどです。

外見からはわかりにくく、大人になっても気づかない人もいます。

正直私は、大学に入るまで「障害」についての知識はなんとなくぼんやりしたものでメディアや本で知っているくらいのものでした。

恥ずかしながらそれまで障害の種類も全く知りませんでした…。

大学に入って様々な人と出会い、

発達障害はどのようなものか考えるきっかけに出会います。

(きっかけは割愛させていただきます…。)

今まで勝手に自分とは関係ないこと・遠い存在だと思っていたのですが、

発達障害を抱える人は15人に一人

つまりクラスに2人

という数字にも驚き、はじめて身近な存在であることに気づきました。

そして調べるにつれて自分はどうなのだろうか?

自分の性格の問題だと思っていたこの悩みはなんなのだろうか?

自分にも当てはまるのではないだろうか?

実際にネット上にある発達障害のセルフ診断を受けてみると

当てはまることが沢山あり、

はじめはどのようなものか知りたいという興味から

次第に自分と重なることが多くて不安が大きくなっていきました。

22年間悩んできた悩みがもし、自分の性格の問題だとしたら

どうにかして時間をかけても直すことが出来ます。

しかし、「障害」だと医学上診断された場合、その嫌な自分と一生向き合っていかなければいけません。

それがとても怖くて、認めることが本当に怖くて、

何か間違えるたびに周りと違うことが不安で突然涙が出てきたり一人で泣いてしまう日が続きました。

私を変えてくれた二人の友達の存在

そんな私を変えるきっかけをくれた二人の大切な友達の存在があります。

自分を受け入れて、それをどう改善していけばいいのか

そして自分自身と向き合う勇気を私にくれました。

その大切な友達について少し触れていきたいと思います。

自分を認めるという事


親にも言うことが出来ず、でも誰にも言えないことが耐えきれなくなって

仲のいい友達にとうとう打ち明けました。

今でもその子が私に言ってくれた言葉は忘れられません。

「障害とかは自分はよくわからないけれども、でもそんなことは全く関係なくてそれは個性だと思う。自分はそれも含めてカナの事が大好きだよ。」

ずっと自分が大嫌いだった部分を認めてくれて、それでもその部分も含めて自分の事を好きだと言ってくれたことが嬉しくて

言葉で言い表すことが出来ませんが本当に救われた気分でした。

”あ、こんな私でもいいんだ”

やっと打ち明けることが出来てほっとした気持ちと

本当に大げさかもしれませんが世間から認められた気分で

”こんな私でも大切にしてくれる人がいるのだから、自分も嫌なところから目を背けずに自分としっかり向き合おう”

そう心から思うことが出来ました。

私はこの時自分にかけてくれたこの友達の言葉を

歳をとっておばあちゃんになっても絶対一生忘れません。

向き合うための解決策~私が病院に行かない理由~

私はネットであれこれ調べたり、セルフ診断をしたりしましたが

病院に行って診断をしたりはしていません。

だから、「かもしれない」と勝手に自分で判断して思っているだけで

はっきりと言い切ることはできません。

なぜそこまで不安になって調べたりしているのに診断に行かないのか?

皆さんそう思うと思います。

私自身、病院を調べたりしていくかどうか迷いました。

しかし正直先ほど書いたように、

”病院で診断されるとそれと向き合っていかなければならない”

という不安な気持ちが強かったです。

向き合おうと決めたけれども解決策が分からない。

そんな時、

別の友達に病院に行ったほうがいいのか相談しました。

すると

「発達障害自分の嫌なところと本当に向き合った?

嫌なところを解決しようとした気になっていない?」

と言ってくれました。

私なりに考えて解決策を自分で考えて試してきたつもりやねんけど…。

はじめはそう思いました。

けれども、それは主観的に考えて解決策を作っていただけであって

客観的に証明されているデータで理解しようとはしていませんでした。

例えば、私の場合人とコミュニケーションをとることが苦手です。

それが分かっているのならばそれを

”どうやって改善することが出来るのか”

それについての本や科学的なアプローチの仕方がこの世にはたくさんあります。それを使って理解しようとしただろうか?

私は自分なりに

”努力した気分”

であって本当に向き合う努力はしていませんでした。

なるほどなぁ~と。盲点ですね。

改善に手を尽くしたと思っていた私に新しい道が開けました。

だから、私は今すぐ病院で診断しようとは思っていません。

「先に分かっていたほうが発達障害についてのアプローチの仕方も分かるし

それって遠回りじゃないの?」

そう思う方もいるかもしれません。

けれども自分と向き合うという意味でも

私は自分自身の手で調べて、自分で行動して試してみてから考えたいです。

自分の与えられた人生なのだから、自分としっかり向き合いたいです。

だから遠回りだとは思わないし、それで得られることはたくさんあると思います。しっかり自分と対峙してみてから自分なりの答えを見つけていくつもりです。

(病院に行くことが悪いということではなくて、私の「かもしれない」ことに対する考え方です。また、私自身日常生活にそれほど困難をきたしていない事も関係していると思います。)

22歳で勝手に社会を知った気分でいましたが

まだまだ学ぶことが沢山ですね(笑)

そして今振り返ってみて思うのが、

私の嫌なところも含めて受け入れて支えてくれた恵まれた周りの存在です。

本当に恵まれているしたくさん素敵な人たちと出会えて私は本当に幸せです。こうやって今いろんなことに挑戦出来て、いろいろな世界を知れて、大好きな人たちが出来て、今のびのびと育ててもらった周りの人たちのやさしさに本当に感謝しています。

障害ってなんだろう?

そうやって改めて自分と向き合ってみて思うのが、

障害ってなんだろう?

私は障害はその人の個性だと思っています。

人間誰しも得意じゃないことがあるし、嫌なところがないわけではないと思います。完璧な人間なんていないですよね。

そして人間なのだからみんな素敵な一面を絶対持っています!

どうしても「障害」という言葉が先走ってしまって

”普通の人とは何か違う”

と思ってしまいがちですが

普通って何でしょうか?

普通の人間なんていないと思います。

個性は人それぞれ違うし生まれ持った環境や育った環境、今生きている環境も全て一緒の人間なんていないと思います。

だから苦手なことも得意なことも人それぞれだし、苦手なことに言葉を付けただけでそれも含めてその人の個性なのかなと。

そして苦手なところばかりに目を向けるのではなく、その人の持っている

”素敵なところ”

に目を向けることはできないのかなと思います。

京都大学霊長類研究所教授・正高 信男先生は

「発達障害の存在意義」を問う質問にこう答えています。

もしもこの「障害」が本当に生きていくうえで障害となるのなら、その人が子孫を残す確率は小さくなり、ダーウィン流の淘汰が働くはずである。しかしそうはならなかった。自閉症スペクトラムには他の多くの遺伝的障害のようには、淘汰圧がかからなかったのだ。つまり存在意義があったと考える方が、自然ということになってくる。それでは、どんな意義があるのかということを私は、ここのところ実証的な立場で研究してきた。そこで明らかになったのは、自閉症者はそうでない人と認識世界が何がしか異なる、しかも後者が仲間とのこころの交流に重心をすえた行動をとるのに対し、前者は人間を取り巻く物理的環境に自らのこころを向けるという事実であった。

これを読んだときに心にじーんと何かが響きました。

心の向け方が違うだけで変わりははいのだと。

私はあまり教育に詳しいわけではないので、言うことはできませんが

日本社会は「オール5」を求めすぎているように感じます。

オール5を取れたらもちろんいいんですが、

1つ1があっても自分が得意なことや好きなことが一つでもあればいいんじゃないか?と。

”平均”を求めるばかりに埋もれているその人たちの「才能」

があるんじゃないかなと思います。

それは、障害に限らず言えることだと思います。

もったいなくありませんか?

私は、たまたま恵まれた環境と素敵な人たちに支えられて、22年間やりたいようにのびのび育ててもらいました。

でも、私のように環境に恵まれず埋もれてきた人たちもたくさんいます。

私は、自分を育ててくれた周りの人たちへ恩返しとして

そのような人たちの「個性」をサポートするきっかけになりたいです

そこで、自身の留学経験などから

発達障害(ADHD)を抱える人たちの留学支援を行います。

発達障害(ADHD)を抱える人たちの留学支援

1.なぜADHDなのか?

私は発達障害のなかでもADHDに注目します。

それは、自分自身と向き合ったときに

”自身がADHDの可能性がある”

”かもしれない”

という答えが自分の中に出てきたからです。

だから一番向き合う時間が長かったからこそ思いが強いです。

そしてこれはデータにすぎませんが、

ADHDを抱える人たちは多くの人たちが

「過集中」

「リスクを恐れない」

「コミットメント」

の傾向が強いと言われています。

私は医学的な根拠がないから何も言うことが出来ませんが、

私自身もリスクよりも思い立ったらすぐに行動することが多く、何か自分の好きなものがあれば執着心は大きいです。

悪く言えば、過リスクともいえるのですが…。

取り方を変えれば、悪い方向にもなりますがその「個性」を生かすことが出来たらとても魅力的ではありませんか?

私はその「個性」を生かすことが出来る環境をサポートしたいです。

2.なぜ留学なのか?


私は、去年の8月から大学を休学して海外ボランティアを行いました。

またそのことについては、別の機会にお話ししたいと思います。

初めて自分の足で踏みいれた海外は、

新しい環境、価値観、そして自分を受け入れてくれる新しい世界を知ったのと同時に、悔しい想いや苦い経験もたくさんしました。

しかし、その環境で自分の知らなかった可能性に出会いました。

自分を認めてくれる広い価値観に出会ったのも大きかったのです。

留学で経験したことが、自分が本当に大切な時、頑張りたいときの生きる糧になると私は信じています。

その私自身の留学経験から、自分の可能性を見つけるきっかけとして留学サポートをしたいです。

支援の現状

今、活動団体をたちあげてこれから「発達障害を抱える人たちの留学支援」を行うために何が必要なのか、それに至るまでの過程はどのようにアプローチすればいいか構想中です。

これからの近況報告は後々ブログに書いていきたいと思います。

もし、自分と同じような考えや共感してくれる方がいればお話したいのでコメントください!

最後に

発達障害は気づきにくいという特徴もあり気づいていない人が沢山います。

またそして、

”発達障害かもしれない”と

私のように自分の嫌なところに悩んでどのようにしたら改善できるのかアプローチの仕方も分からない人たちもたくさんいると思います。

今回このような形で自分自身のことを公言するのは正直抵抗がありました。しかし、

私自身が向き合って自分なりの答えが見つかったように

私のようにどうすればいいか悩んでいる人たちに私の思いが届いたら方が私は嬉しいと思い書かせていただきました。

届いたらうれしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




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