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私が本当に3歳だった時、母親であるママが亡くなりました。

▼「私」について

今月、2月の28日が命日です。ママがいなくなってしまってから、もう25年も経ちました。この時期になると、なんとなく、なんとなくママのことを想います。正直、当時3歳だった私には、ママの記憶はないのですが。

だからこそ、いつもは小さく、心のどこか片隅にある恋しさが、はっきりと姿を現すのかもしれません。

今回は、私のママへの思いを綴っていきたいと思います。

▼登場人物一覧

私にとってのママ

私にとって、ママの存在とは「歴史上の人物」でした。

「私」という存在そのものが、ママが生きていた証の一つだと分かってはいても、私にはママの記憶がないからです。

ママのことを知るには、ママの母親で私の祖母であるおばあちゃんや、ママの弟・ノリおじちゃん、そしてママの夫であり、私の父親であるパパから話を聞くしか方法がなかったからです。

しかも、パパとの間では、お互いにお互いを気遣うがゆえに、ママの話をきちんとしたことはありませんでした。

パパの口からママの話を聞いたのは、2016年の6月のこと。それまでの21年間、私はママの話をパパから聞くことはなく、それもあってか「歴史上の人物」と言えるほど、遠い存在に思っていました。

けれど、2019年の4月に挙げた結婚式で、おばあちゃんが亡くなってから交流も途絶えていたノリおじちゃんと、また連絡を取り合うようになりました。それによって、これまで知らなかったママの話を、たくさん教えてもらっています。

▼ママのエピソード

話を聞くたびに「もし、ママが生きてたら……」と考えることも、以前より増えました。そして、ふと思い出したのです。

イタコさんの存在を。

もしもママに会えるなら

私がイタコさんの存在を知ったのは、随分と前のことです。

私の過去の手帳を開いてみると「やりたいことリスト」に「イタコさんに会いに行く」と書いてあります。

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もしも、ママの言葉を聞けるのだとしたら、私はそれがどんなものであれ、きっと嬉しいと思うでしょう。だって、ママの存在は「歴史上の人物」ほどに遠くて、それでも私に影響を与えているのだから。

だから私はいつか、どうにか青森の恐山を訪ね、イタコさんの力を借りてママに会いたい。イタコさんを通してで構わないから、ママの言葉を受け取りたいのです。

そして、私自身もママに伝えたいことがあります。

「私、ノリおじちゃんにね、ママに似てるって言われるんだ。やっぱり姉ちゃんの娘だな。姉ちゃんと話してるみたいって。それがすごく嬉しいんだ。私、ママのこと心から尊敬してるから」

「パパから、パパとママの出会いを聞いたけど、ママってばすごいね。ビックリした!私もね、ママとはちょっと違うけど、運命の人と結婚できたんだよ。とっても素敵な人なんだ」

伝えたいことは山ほどあります。けれどやっぱり、最終的にはたった一言になってしまうだろうと思います。

「私を産んでくれて、ありがとう」

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