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授業の視聴率

教員としていつも気にしてしまうのが、「視聴率」の問題です。もちろん、無理に起きて自分の話を聞けー!みたいなおこがましいことは考えていません。ただ、どうせこうして集まったのだから、出来るだけみんなで有意義な時間にしませんか?そんな気持ちで、"喋り"を臨機応変に組み立てることをしています。

大学では1対100みたいな講義を行うので、私(中の人1号)が「つまらない」話をすると、学生さんは直ぐに寝ます。自分も思えば中学・高校くらいから授業中寝るようになり、大学生になってからは大学に行ってもどうせ寝るから行かない、という始末でした。したがって、寝ている学生さんを責めようとも思えず、むしろつまらん話をしてしまって申し訳ないなぁという気持ちになります。

誰にとっても「おもしろい」と受け止められる話をすることは、ほぼほぼ不可能です。例えばお笑いを見ていれば分かると思いますが、好きなお笑いというのは人によって異なります(何故笑いのツボが人によって異なるのかも、ロジックで考察してみると面白そうですが)。諺でも「十人十色」といいますが、10人ですら十色なのですから、100人なんかえらいことになってしまいます。そういうことを考えると、コンサート会場で1万人を相手にするアイドルなんか凄いなぁと感心してしまいます。
以上から、100人が全て「おもしろい」と感じてもらう状況を作ることは、視聴率100%のテレビ番組を作るくらいほぼほぼ不可能なのですが、シニカルなことに「誰もおもしろいと思っていない」という0点の状態を作るのは簡単、というのは皆さんも想像がつくと思います。

私は、何で過去の自分は授業中ぐうぐう寝ていたのか?を考察すると、おもしろくするヒントがあると考えています。要するに反面教師とする、ということですが、「おもしろくない」について上位概念・下位概念化してロジックツリーを作成します。そこには「おもしろくなくするコツ」が網羅されており、表現としてはほぼほぼ否定形です。
この否定形の表現を文法的に肯定形に変換すると「おもしろいコツ」になります。例えば、「おもしろくない」特徴として「目線が合わない」のであれば、その逆である「目線を合わせる」をすれば「おもしろく」なる、といった具合に。極めて当たり前のキーワードの羅列になるわけですが、一度"裏返し"という操作を行っている分、ちゃんと自分の中に深みがあるし、他者にもそのニュアンスを表裏を適宜見せることで伝えやすくなる。

この種の「反転作業」は、単なるロジックというかレトリックというかなのですが、こうやって反面教師をちゃんと「反面教師」とすることが出来るんだなーと、根暗な私は秘かにほくそえんでいました。

…とまで考えるツールが揃ってくると、「無理に起きて自分の話を聞けー!」というジャイアンコンサート的な人は、どういう理由でこうなっているんだろう?と思うわけです。恐らく個人の経験によって出てくるキーワードは色々違うでしょうし、違っていて当然と思います。ただ、前記事の「言葉にすることの重要性」でも記載しましたが、「おもしろくない」で留まっていては、それは否定形でしか表現されないことであり、「単なる愚痴」にしかなりません。そこからきちんと「反面教師」として論理的にダシを取り、ポジティブな=肯定形の言葉で表現できるようになれば、おもしろくなるのになぁ…と若い頃の自分に教えてあげたくなる…と言いたくなるくらいオジサンになったのだなぁ、としみじみ思います。

いつまで経ってもこの種のことは勉強に続く勉強ですが、1万人を相手にするアイドルにしても「対話」が成立しているんだろうなと想像しています。「対話」とは相手の表情や目線から相手が何を思っているかを読み取り、その2歩先・3歩先を読んだ行動・言動で返すことだと考えていますが、これを読めれば読めるほど、よりよい「対話」に近付くらしいことは何となく経験的に分かってきたつもりです。冒頭の「視聴率」というのは、要するにどれだけ良い「対話」がその場で構築されているか?であって、良い「対話」ができた後はお互いにアタマが良い意味で物凄く疲れることが特徴と思っています。

そんな「対話」が日常的に形成できていければいいな、などと考えてしまう中の人1号でした。

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