見出し画像

社内教育と聞き上手

社内教育はいつだって難しい。コロナ禍が猛威を振るっている今はなおさらだ。教育は重要だ、とずっと言われ続けて、うまくいかない課題であり続けている。

何が難しいのか、そして「聞き上手」が何をできるのか考えてみたい。

なぜ人にものを教えるのは難しいのか

画像1

なぜか。まずは、「きちんと教えないといけない」からだ。かつては「背中を見て学ぶ」が美徳であり、そうした学びがよしとされてきた時代があった。つまり教えなくてよかったのだ。天ぷらをあげるまでに8年かかる、といった、学ぶ期間自体を意図的に長くとることも良しとされてきた。師匠は何も言わず、弟子は自ら考える。その考える時間にも価値がある、ということであろう。

これはいわば、現場のありとあらゆる事象を感覚的にとらえ、それを自らの中で腹落ちするまで反芻し、場合によっては自分で言語化し、体にしみこませていく作業であると言える。暗黙知を暗黙知のまま継承し、自分の身に落とし込むといってもいい。言語を使うこともあるが、それはあくまで個人の中で、だけだ。師匠に質問をしても答えをくれないことが一般的だ。だから時間がかかる。ただし、それで得られた学びは自分の中にしっかりと暗黙的に、五感を通じて染み込んでいるので、十分な強度がある。

おそらく、今でもこの教育方法は理想だ。時間が十分にあり、労務費が十分に低ければ。残念ながら、今は時間は十分になく、労務費は低くない。変化の大きい世の中で、価値を提供できる側に回るまでに時間をかけすぎると、価値提供の前に学んでいることが陳腐化してしまう。労務費は言わずもがなで、かつては住み込みで小遣い程度の賃金で何でもやらせるようなことを弟子に強要できたような世界は、今はほとんど残っていないだろう。だれしも自分の生活を守れる程度の給与は、当然に必要だ(社会的にもそれが正しい)。

今ものを教える立場の人間が、教わった経験がない。私たちが実際に複数の現場で聞いた声は、こんな声だ。
「教育の必要性はわかります。だけど、どうやって教えたらいいのか全く分からないんですよ。自分が教わったことがないので。」

なにが必要なのか。新しく、きちんと構造化されて効率化された教育方法が実践されていなければならない。ところが構造化された教育方法も、効率化された教育方法もすでに存在している。ちまたには多くの教育ノウハウ、ナレッジの集約方法があふれている。それら教育方法を、実際に個別の社内で作成し、実践することが難しいのだ。

どういう教育が考えられるのか

ここで教育がどのような方法でなされるのか、考えてみたい。

社内教育イメージ

抽象ー個別具体的、暗黙的感覚的ー形式的言語的、という4象限で分類し、教育方法にどのようなものがあるか考えたい。

先ほど挙げた背中を見て覚えるは、左下の暗黙的感覚的ー個別具体的の、背中と現場感の世界だ。個別具体的なことを言葉を使わずに染み込ませていく作業。これをそのまま学ぶには、長い時間がかかるというのが先ほどの話。もちろんここの重要性が薄れるわけではないが、ここだけで教育を完了させようとすると時間がかかるので、いかに他の方法で効率化をするかを考える必要がある。

マニュアルの世界

画像3

その右に行くと、個別具体的ー形式知化されたエリアがある。マニュアルの世界だ。

暗黙知を暗黙知のまま伝達しようとすると莫大な時間がかかる。短縮するために生まれたのが、マニュアルだ。つまり個別具体的なものを形式知化、言語化し、「これをやればいい」というところまで落とし込む。これができれば、現場を回すことができるようになる。大変に効率的である。いうまでもなく、マクドナルドなどがこのマニュアル化によって大成功したことは間違いない。

もちろん問題点はある。その場でしか通用しない内容になるので、応用が利かない。書かれていないことができない。ビジネスの変化とともに陳腐化してしまう、などだ。また、マニュアルだけ読んでもできないということもある。結局現場でなれる作業は必要になるし、本来はその時に最適な指導が入ることがのぞましい。つまり、現場で言語化された指導がなされることが理想である。が、実際は難しい。マニュアルによる教育と、現場による教育が分断され、机で教わった後はいきなり現場で指導なしに働くだけ、それをOJTと呼んでいるというケースは極めて多い。

それからもう一つ。マニュアル化は、面倒くさい。言語化は大変な手間がかかるため、なされないことが多い。つまり、そもそも行われていない、マニュアルがないケースが相当ある。頑張って作っても、使われない書類は更新されない。更新されないと、陳腐化して使えなくなってしまう。使うこととセットで作らないと意味のない作業になってしまう。

法則と論理の世界

画像4

マニュアルの世界から一つ上に行くと、そこは法則と論理の世界だ。つまり言語化されたものが、さらに抽象化された世界。個別具体的なマニュアルを抽象化、普遍化する作業が行われる。たとえば成功事例を基に、学びや勝ちパターンを抽出したり、あるいはもっと踏み込んで、行動規範や、企業の成功ストーリーという形で、従業員になってほしい像やこういう能力を伸ばしてほしい、といった姿を指し示すことだ。

これらを作成し、伝達することによって、個別具体的でない事象にも応用がきく。これらを体得することで、働くスタッフ自体が気づき、学ぶことができるようになる。個別事象の改善なども期待できるかもしれない。マニュアルの世界だけだと「言われたことはできるが、言われないことはできない」までしか期待できないが、法則と論理の世界の内容を伝えることができれば、「自ら学び、改善できる」人材を期待することができる。

これができればよいが、当然難易度は高い。まず言語化するのが難しい。だれにでもできる作業ではない。さらに、この活用の絵姿が見えないため、言語化しようというモチベーションが湧きにくい。マニュアルや業務手順書はそろえられても、その上位の行動規範や成功ストーリーを論理的に整理できている会社はなかなかないと言ってよいだろう。

また、このレベルまで抽象化されてしまうと、読むだけでは意味が伝わりにくくなる。マニュアルや行動指針のレベルと結びついていないと、これまた読まれない読み物になってしまう。

熱い思いの世界

画像5

最後は熱い思いの世界だ。法則と論理の世界の左、背中と現場感の世界のうえだ。つまり暗黙的・非言語的で抽象化された世界。ビジネスで言えば、仕事に対する思いや価値観などで、うまく言葉にできていないものがこれにあたる。情熱というのが一番いいのかもしれない。

本来、背中と現場感の世界でも、現場を通じてここまで学びきれば、学習は終了ということでもあろう。また法則と論理の世界においても、形式知化されたものだけでは不足で、それを通して思いや価値観を共有して、初めて価値ある仕事ができるようになる、とは言えるだろう。

こうした思いや価値観を言語化するツールとして、Mission、Vision、Valueや、その前の世代の会社であれば社是や社訓という形で描かれることが多い。言語化されているので、2つのマトリックスの中間くらいに位置するものと理解するのが正しいかもしれない。

画像6

ただし、Mission, Vision, Valueを作れば終わりかというとそんなことはなく、結局のところそれをどう暗黙的に伝えるか、ということが必要となる。

さらに、Mission, Vision, Valueはあくまで社内で一つ、創業者/経営陣の思いであり価値観であるということだ。本来はそこにほかの社員の思いや価値観が結びつき、有機的に作られているのが企業の文化であり、コアな原動力であると言えるだろう。求められているのは、個々人の熱い思いを共有できる仕組みだ。

聞き上手の使い道

さて、ここからようやく聞き上手の使い道だ。基本的には、暗黙的な領域から話を聞くことで、言葉、すなわち形式知へと転換すること。そこでは大きく2つの柱がある。

聞き上手の使い道

①思いの言語化
②経験の言語化

だ。それぞれ見ていきたい。

なお、聞き上手の効果そのものについては以前の記事を参照されたい。
暗黙知と聞き上手

また、聞き上手は「論理的理解」と「共感的理解」の双方を満たしていることを前提としている。2つの理解の違いおよび重要性については下記を参照してほしい。
2つの「わかる」

思いの言語化

思いの言語化とは、左上の思いを右へと落とし込む、つまり思いや価値観を言葉にし、行動規範などにしていくことだ。
それだけ聞くと、Mission,Vision,Valueと同じではないか、と思うかもしれない。当然それも含む。聞き上手を通じて価値観を聞いていく作業は、Mission, Vision, Valueの構築に通じる。

さらに聞き上手を使えば、従業員の中で創業者や経営陣と同じレベルで暗黙的な思いや価値観を共有している人たちの言語化が可能となる。エース社員やベテラン社員など、その会社の価値や人柄を体現している人たちのそれぞれの言葉だ。Mission,Vision,Valueと違い、より現場や仕事そのものに即しているため、従業員からするとわかりやすい場合も多い。ある意味で企業の理念などをわかりやすく落とし込んだもの、と言えるだろう。この場合、個別の仕事の詳細に入っていくこともできるので、例えばマニュアルに即して、そのマニュアルの背景を説明したり、そこに隠された意味を伝えることなども可能となる。

あわせて、これらベテラン/エース社員にとっては、自らの思いと価値観を言語化する過程ともなる。それによって新しい気づきや、エンゲージメントの向上も見込めるだろう。

経験の言語化

経験の言語化は、逆に現場での経験からのアプローチだ。現場でやっていることを言語化し、まとめていく作業だ。ここでも聞き上手は極めて有効である。違う場所でも述べたが、単なる聞き取り調査と異なるのは、それが極めて肯定的に行われることだ。

また、聞き取りであっても暗黙的な状況に想像を巡らせながら話を聞けることも大きな利点と言えるだろう。
聞き上手と現場感

前段で述べたように、マニュアル化は難しい。最近では動画撮影のアプリなどで簡単に作れるものもあるので、そうしたものに適している現場の場合はそれで良いだろう。複合的な作業を必要とする場合や、ホワイトカラーの場合は動画による理解が難しい場合もあり、その場合は直接言語化することが必要となる。
またさらに上の抽象度にする際には、動画では難しい。聞き手が適切な質問をすることでしか、法則と論理の世界に進むことはできないだろう。

暗黙知と形式知のミックスを意図的に起こす

2つに共通しているのは、暗黙知と形式知を意図的に横断させていることだ。今まで、社内教育というとOJTか、あるいは明確に言語化された形式知の伝達、という形をとっていた。結局のところ、人の心身にきちんとある内容を伝えるためには、暗黙知と形式知の双方のアプローチが必要であり、中身そのものの構築にも暗黙知のアプローチがなければ難しいということだ。

そして暗黙知へのアプローチこそ、聞き上手が最も得意とする領域であり、このようなミックスを起こすことにこそ、他のアプローチでは難しい実践的な効果が期待できる。

また、たびたび出てきた、形式知の暗黙的な伝達が必要だ。これには、お互いがお互いを尊重し、自己肯定感を高めあう組織であることが重要な前提条件となる。そのためには、個別の従業員の聞き上手の能力を担保すること、組織としてそもそも聞き上手に価値観を持たせること、といった仕掛けが必要となる。

まとめ

以上、社内教育を分類し、それぞれにおける難しい点と、そこに対する聞き上手のアプローチを見てきた。ほとんどの企業において、業務上は現場を重視したり現場に依存していても、教育となると突然現場を離れ、形式知に枠をはめるケースが多い。

もっとも重要なことは、社内における暗黙知的な領域の存在を認識し、その価値を認めることではないだろうか。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/