暗黙知と聞き上手
聞き上手の中でも、特に「傾聴」といわれるコミュニケーション技術と、暗黙知の関係について考えてみたい。暗黙知を形式知化する、あるいは他者と共有する過程において、聞き上手=傾聴が有効だということが見えてきた。
暗黙知とは
暗黙知とは哲学者のマイケル・ポランニーが提唱した言葉で、「経験的に使っている知識だが簡単に言葉で説明できない知識」のこと。長嶋茂雄がグッとやってバッと打てる感覚から、「世界観」や「視点」といったものの見え方や方法論のうち明確に説明できないものも含む。
ビジネスにおいては野中郁次郎先生が暗黙知と形式知、さらに発展させてSECIモデルという形で概念化し、ビジネスツールに展開している。野中先生が言う暗黙知と形式知は、以下のように違いが示される。
野中郁次郎・紺野登「知識創造の方法論(2003)」より
ここで重要なのは、暗黙知と形式知は明確に線引きがなされているのではなく、グラデーション状に分布しており、また動的でもあることだ。ある暗黙的知識が形式知化することもあれば、状況や関係性によっては形式知が暗黙的にしか共有・認知されないことも起こりえる。
暗黙知の共有
日本企業においては、長らくこの暗黙知が暗黙知のまま共有・継承されてきた。いわゆる「背中を見て覚える」だ。弟子は長い時間を師匠と過ごすが、師匠は特定のノウハウを言葉にして伝えたりはしない。見て覚える、やったことをただダメだといわれ、自分で考えながら徐々にできるようになっていく。
いわゆる職人の世界がイメージしやすいが、日本企業においてはホワイトカラーも「背中式」だったといえよう。研修はやらず、マニュアルも存在しない。OJT的な立ち位置で、横で見て覚えろという姿勢。背中以外でも、居酒屋談義で上司が部下に仕事の思い出を語るなどして伝える、言語ではあるものの個別具体的な出来事などを介した明確化されていないノウハウの伝授の仕方がなされており、極めて暗黙知的な要素の強い伝達方法だといえるだろう。
欧米式のリトリートなどは、非公式な場を使うという点では似ているが、そこではアジェンダ設定されたトピックについて語るなど、形式知化されたノウハウやビジョンを共有しようとする姿勢が感じられる。日本の社員旅行とは大きく異なる。
暗黙知を形式知化し、それを社員に伝える方式が、グローバルに優勢だとは言えるだろう。マクドナルドの充実したマニュアルや、社外研修を受けさせてから配属するスタイルなどはそうした意味合いが強い。それでも、伝統的企業であればあるほど、また社内でも年齢が上になるほど、暗黙知をそのまま継承することを良しとする姿勢が強い。言語化すると失われるものがある、自ら考えながら身につけなければモノにならない、などの考え方が支配的だと思われる。また、現場でよく聞くのは、「自分が教わったことがないので教え方がわからない」というものだ。経営も、そうした現場の状況に対して外部支援を行ってこなかったことは事実としてあるだろう。
コロナの影響
こうして長い年月、日本企業/伝統的企業は、諸外国/急成長企業と比べて、ノウハウの共有の手法を暗黙的伝達に頼ったままであり、それが新人の育成に負の影響を与え、結果として競争力を落とす結果に結びついているといえるだろう。
徐々に外部研修を取り入れたりしてきているものの、さらにコロナ禍により、状況はいよいよ待ったなしになっていると思われる。
物理的なリモートワークの進展により、暗黙知を暗黙的に伝えることができなくなり、さらに個人が成長と自己マネジメントをどのように行うかまで個人任せになっている傾向が、特に伝統的企業ほど顕著なようだ。
暗黙知の形式知化
暗黙知を形式知化する。そもそも野中郁次郎の暗黙知ー形式知の概念やSECIモデルが紹介されたのは90年代であり、当時からナレッジマネジメントの重要性はかなり声高に叫ばれていた。特にナレッジマネジメントツールの導入により、社員が形式知を共有できる仕組みを取り入れた企業も多かった。
ところが、実際はそもそも知識が共有されず、十分な知識が共有されていないため、ナレッジマネジメントツールも十分に活用されないまま捨てられることとなってしまう。
なぜか。
人にとってそもそも、暗黙知を形式知化することは難しい。逆に難しいからこそ暗黙知としてとどまっているとも言える。暗黙知を形式知化するには、そのためのトレーニングや経験が必要であり、一般的な業務でそのような機会は極めてまれである。さあノウハウを書きなさい、といわれても書けないし、逆に書けることは個別的・具体的すぎてノウハウとして活用できないのだ。
さらに、書くことでノウハウが流出してしまうのではないかという思い(=社内でそのノウハウを自分だけにしておきたいという思い)や、そうした行為が結局社内で低い評価しか受けないことへの反発などもあった。要するに、経営陣が本気でノウハウ共有をしようとしてこなかったともいえるだろう。
暗黙知と形式知のセットでの共有
では、そのような困難を伴いつつ、暗黙知を形式知化し、共有できればよいのだろうか。それは必要条件ではあるが、十分条件ではない。そもそも形式知化されて数時間程度で伝達できるノウハウであれば、それはたいしたノウハウではない。逆に暗黙知をすべて形式知化し、十分なノウハウにしようとすれば、それをやるためだけに全業務がストップしてしまうだろう。
つまり、十分に吟味され抽象化・構造化された形式知であったとしても、それを知らない人間がすぐに使えるようになるのは原理的に難しいということだ。暗黙知の特長に、個別具体的・いま、ここ、といった表記があった。そうしたイメージできる事象、また感情的・情動的な心への作用をなしに、人として新たなことを学ぶのは、極めて難易度が高いのだ。
その点は従来型の伝統企業所属者がいうように、「本当のノウハウは言葉だけでは伝えられない」というのは正しい。横について、暗黙知的すりあわせや、感情や場の共有を行わなければ、のぞましい共有のレベルに達しないのだ。
風姿花伝
世阿弥が書いた「風姿花伝」という書がある。能楽の聖典として書かれたものだが、当然、素人の自分が読んでもさっぱりわからない。ところが、聞くところによれば、この本はそもそも誰が読んで理解できないらしい。読んで理解するための本ではないという。読んで、さらに先達がその内容を身をもって教えることで初めて理解される前提で書かれているとのこと。逆に身をもって教えるだけでは、能楽の神髄は理解できないということでもある。
つまり、形式知は形式知としてできる限り暗黙知から変換しておきつつ、共有の場において暗黙知もセットでフル活用して教えることが必要なのだ。能楽という高度な芸事についてそのような教育方法が有効だということは、同じく高度でクリエイティブなビジネスを行っている人々にとって、重要な示唆を与えていると言えないだろうか。
どうすればよいのか
ではどうすればよいのか。2つ。
① 暗黙知を形式知に変える作業を手伝う
② 形式知とセットで、暗黙知も共有する場を支援する
だ。
そしてこの作業において、傾聴的聞き上手が非常に効果的だということを実感している。
① 暗黙知を形式知に変える作業を手伝う
自分一人で暗黙知を形式知に変えることは難しい。ところが他人が介在し、対話を行うと、驚くほど明確に言葉で語ってもらえることが多い。話すことで頭が整理され、今まで自分だけでは思いつかなかった言葉になったり、構造化されたりするのだ。私たちがインタビューをしていても、「今、初めて自分でしゃべったけどそういうことかもしれない」というコメントによく出会う。自分の頭の中にあるものが、他人を目の前にすると出てくるのだ。
そしてその言葉を引き出すために、傾聴的な聞き上手が極めて有効だ。
・心理的安全を構築し、思考も、考えたことを言うことにも制約を加えない
・相手の話しをリードせず、考えたいように考えてもらえる
・個別的・具体的なことを聞くことに徹することができる
・感情に寄り添い、身体経験も含めたストーリーを聞くため、より実際に近い情報量で思索を深めることができる
前回、「2つのわかる」で書いた論理的理解と共感的理解でいえば、共感的理解を示す聞き方を行うことで、暗黙知的な要素をより引き出し、それを言語化できる。それにより、結果としての論理的理解の材料となる、形式知化された言葉を受け取り、整理することができることになるのだ。
ただし、これには聞き手の意識が必要で、暗黙知を暗黙知のまま聞こうとしている場合、目的が情感満足にとどまる場合などは、聞き手が知識を受け止めることができないので、そのまま会話は流れて行ってしまうだろう。聞き手には論理的理解力と共感的理解力の双方が求められるといえよう。
② 形式知とセットで、暗黙知も共有する場を支援する
上記で個人の暗黙知を形式知化することができたとして、それをそのまま共有(例えば、テキストとして配布するなど)しても、それがそのまま活用されることはあまり期待できない。読んでもピンとこない、という言い方が一番しっくりくる。
そこで、そのテキストに基づいて、話者が自ら、相手に対して語る時間が必要となる。いわゆるセミナーやワークショップという形式で、こうしたテキストができた背景や具体例の説明を行うことで(具体例がテキストに載っていたとしても、実際に話さない場合とでは大きく異なる)、相手方への伝わり方、相手の受け止め方が格段に向上する。
その際に、ワークショップを支援する役回りが必要になるが、そのファシリテーターが傾聴的聞き上手を活用できると、効果が倍増する。話者の話しを上手に引き出すことができるとともに、相手方の気持ちも引き出すことができるため、双方の情感や具体的イメージを共有することが可能になるのだ。場としてはワークショップであるが、背中を見る現場や暗黙知のすり合わせの現場と比べても密度の濃い知の共有の場にすることができる。
さらに情感の共有がなされることで、チームの親密度合いが増すなどの効果も期待できる。
まとめ:聞き上手の可能性
一般的に聞き上手、傾聴、Active Listeningといわれるコミュニケーション手法は、あくまで信頼関係構築や情感理解に有効なツールという理解のされ方をしている。そもそも傾聴という概念がカウンセリングから出発していることから、それは明らかでもあるし当然でもある。
一方で、おそらく超一流のコーチングやカウンセリングの現場では、単なる共感的理解を超えた論理的理解や、暗黙知の形式知化が行われている。ところがそれらは個人の職人芸にとどまり、まさに暗黙知化されたままの状態にあるといえるのではないだろうか。
そもそも聞き上手=傾聴が、論理的理解にとって有効であるという認識がなされていないように思われる。しかしここで述べたように、特に暗黙知の理解には、傾聴的姿勢が極めて重要かつ有効であると確信している。逆に言えば、出自から、今まで論理的理解を排除するような傾聴が行われてきたともいえるのかもしれない。
さらに言えば、形式知の加工・共有といった領域は今後のデジタル技術やAI技術の発達でより機械に任せられる部分が大きくなっていくが、人間の人間たる暗黙知を扱う領域においては、ひきつづき人間独自の能力が求められるだろう。聞き上手はその際に最も重要なスキルの一つと言えるのではないだろうか。
神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/