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溝口智子
2024年6月8日 23:07
あらすじはかなげな美人に翻弄される美大生。狂気の画家。消える少年たち。みな、夢幻のなかに、自分をなくしていく―――憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅰ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅱ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅲ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅳ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅴ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅵ憑 狂 ~ツキクル~ Ⅶ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅷ憑 狂 ~ツキクルウ~ Ⅸ憑
大基の部屋を引き継いで、さゆみは暮らしてきた。大基がいた時そのままの家具、そのままの食器、そのままの衣服。大基がいつ戻って来てもいいように、ずっと変えることなく、待ち続けていた。 けれど、もう必要ない。大基は帰って来たけれど、さゆみとは違う世界に行ってしまった。この部屋を引き払う決心がやっとついた。「さゆみ、梱包が終わったものから運び出すから、こっちに出してくれ」 部屋の片づけに、斗
2024年6月8日 23:06
「何か変なことに、お兄ちゃんは巻き込まれたんです。だって、こんな死に方、普通じゃない」 病院の霊安室で、美和は真っ青な顔で亡霊のような姿で立っていた。大吾死亡の連絡を受けたさゆみと斗真が駆けつけた時には、北条刑事がすでに美和に付き添っていた。「病院では自殺なのは間違いないから解剖されないって言うんです。でも、絶対、おかしいじゃないですか。百合子さんの家で何かあったんじゃないですか? お兄ち
2024年6月8日 23:05
画廊から出てきた百合子と『背中』を見て、さゆみの足は考えるよりも先に駆けだした。画廊まであと少し、というところで斗真が駆けだして来て、百合子の前に立ちふさがった。すぐに刑事が出てきて、刑事はさゆみの前に両手を広げて立ちふさがる。「はい、ストーップ。あんたはこれ以上、近づけません」「何言ってるの! 彼がどうなってもいいの!?」 刑事はため息を吐いた。「いいもなにも、本人が高坂百合子
2024年6月8日 23:03
さゆみが一人で行っていた尾行に、斗真も手を貸すことになった。そのおかげで、百合子の家のすぐそばに張り付くことが出来るようになったわけだが、男性が見張っているとなると、通報される危険性が増す。基本的には、百合子が日常的に利用している駅で待ち伏せすることにした。 百合子はなぜか外出にタクシーを使わない。尾行する身としてはありがたい。 斗真が百合子を見た第一印象は、美人だけれど地味な女性だという
2024年6月8日 23:02
「お兄ちゃん!? どうしたの!?」 昼休み、画廊のドアが開いたチャイム音で、食べかけの弁当を置いて表に出た私を見て、お兄ちゃんが両手を上げて、ひらひらと振った。「突撃、職場ほうもーん」「もう! やめてよ、そういうの! お客様の迷惑になるでしょ!」 大きなバックパックを肩にかけたお兄ちゃんは、そんなに広くもない画廊の中を、しつこいほどにキョロキョロと見渡した。「おお、団体様がいら
さゆみは百合子の尾行に手間取っていた。新しい『背中』が完成したのだ。早くしなければ次の『背中』を百合子が見つけてしまうかもしれない。 年齢が、合わないのだ。 百合子の『弟』が大基と同い年だという設定なのだとしたら、二十五歳でないとおかしい。なのに、今回、完成した『背中』は二十三歳なのだ。二年前に完成されておくべきだったもののはずだ。 百合子は、すぐに次の、二十五歳の『背中』を見つける。
2024年6月8日 23:01
珍しく、オーナーが店にやって来た。緊張して背筋が痛むほど姿勢を正す。「ご苦労様。変わったことはないかな」「はい。特には」 尋ねられても、本当になーんにもない。お客はほぼ来ないし、来ても冷やかしだし、絵を買おうなんて奇特な人は、この不景気の中、いないんじゃないかな。「あ……」 オーナーが私が漏らした呟きに反応して、首をかしげる。「なにか、あったのかね?」 なにかというほ
いったい、どう言えば良かったんだろう。 さゆみは半月経った今でも、後悔に似た自問を繰り返していた。 あの背中を、大基にそっくりなあの背中を、守ることが出来るのは私しかいないのに。 なのに、私はおめおめと、あの女の前から 逃げ出してしまった。 何度もくり返し、何度も唇を噛んだその問いの答えを、さゆみは何度考えても思いつくことは出来なかった。「おい、加藤田。昼、行かないのか」 声
硝子扉が開く音に、私は顔を上げた。「いらっしゃいませ」 画廊に入って来たのはショートボブで、ベージュのパンツスーツ姿の女性だった。私の声が耳に入らなかったかのように、引き寄せられるように、奥の壁に掛けてある絵に近づいていく。 他のものは目に映っていないだろう。まっすぐに絵に向けられた瞳はどこか遠くをみているようだった。 女性はそこから右にさかのぼって、一枚ずつ丹念に絵を見つめてい
2024年6月8日 23:00
橋田画廊に足を踏み入れた途端、その絵に目を奪われた。 男性の背中の絵。 よく知っている背中。ずっと見つめつづけていた背中。 まっすぐ、その絵に歩み寄る。 大基の背中だ。二十歳を過ぎても頼りなく細く、やや猫背だった。やけに首が長くて、マフラーを編んでやったら細すぎると言って笑った。 目を離すことができず、じっと見つめていると、受付の女性が話しかけてきた。「こちらは高坂のライフ
2024年6月8日 22:59
小奇麗なマンションのガラス扉の前に立ち、オートロックのインターホンを鳴らす。 ぴーんぽーん。 チャイム音に応答はない。 ぴーんぽーん。ぴーんぽーん。ぴーんぽーん。ぴーんぽーん。ぴーんぽーん。ぴーんぽーん。 八回目のボタンを押そうとした時、エレベーターのドアが開き高坂百合子が降りてきた。慌てるでもなく、いぶかしむでもない。 微笑んでいる。静かに歩いてくる。 自動でガラス扉が開く
目覚めると、窓から朝の光が差し込んでいた。 雲ひとつない青空。空気は澄んで爽やかだ。久しぶりに目覚めたような、すっきりした気持ちで起き上がる。 ベッド脇の目覚まし時計は、八時十分を指していた。一限に余裕で間に合う時間。美大に合格してから一年間だけは、この時間に起きて通学していた。 シャワーを浴びてひげを剃る。ひげは濃い方ではないのに、かみそりに削り取られるひげたちは、イヤに黒々としてい
2024年6月8日 22:58
描きかけの百合子の絵を見る。 男性の背中。と言うには、あまりに幼く細い。高校生、いや、中学生と言っても通用するのではないだろうか。自分の背中は、こんなにも幼いのだろうか? 大基は、百合子の絵を見て、首をひねる。「大ちゃん、お待たせ。出来ました。召し上がれ」 百合子がテーブルに手料理を所狭しと並べて、声をかけた。「あ、はい、すみません」 大基の言葉を、百合子はくすくすと笑う。