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天の光はすべて星

『FlyFisher』2014年5月号掲載

それを初めて見たのは小学生の時だった。いや、初めてではなく、普段見られるものだけどあれだけ意識させられたことはなかった。
 夏休み、父の友人の実家である群馬県の山村に数日滞在した時だった。夏祭りがあり、高台にある神社まで提灯片手に急な斜面を上って行った。開けた場所で振り返ると、僕の目の前には足下から頭のてっぺんまで夜空が広がっていた。
それは僕が知っている夜空ではなかった。満天という言葉通り、一面の星々。僕はその時初めて夜空は明るいことを知った。

 『天の光はすべて星』(フレドリック・ブラウン ハヤカワSF文庫)
 この本のタイトルを見た時、忘れていたあの時の星空を思い出した。
 元宇宙飛行士のマックスは五十七歳。事故で片足を無くし酒浸りの日々を送っていたが、木星探査計画を公約にした議員と出逢い、星への憧れを胸に再び夢に向って突き進む話だ。
 動物園のライオンについてマックスと彼の家庭教師マサイ族のエムバッシとのの会話がとても面白い。
「(マサイ族は)もちろん勇敢でした。しかし、いや、だからこそ、もちろん恐れてもいたのです。それでなけりゃ、ライオンと戦うなんてちっとも勇ましいことでもなんでもなくなってしまいますからね。恐怖のないところに勇敢ということはありえません」
恐怖に立ち向かうからこその勇敢。そしてそれゆえの憧れ。宇宙飛行士の心情に思いを馳せる言葉だ。
 
 また宇宙へ憧れる理由として、この世界からの脱出という本音が、自暴自棄になったマックスから語られる。
 ”それ(脱出という願望)はさまざまの形をとり、さまざまの方向に向って発散されてきた。それは芸術となり、宗教となり、苦行となり、占星術となり、舞踊となり、飲酒となり、詩となり、狂気となった。これまでの脱出はそういう方向をとってきた”
そして本当の脱出の方向とは「外へ!」であった。死ぬまでへばりついて生きて行かねばならない地面から離れること。それがマックスにとって宇宙へいくことの理由でもあった。
 本書はSFとされながも、とてもシリアスで現実的な物語である。ラストで紡がれる宇宙への夢の続きには何度読んでも胸にくるものがある。

 宇宙への憧れを描いた『天の光はすべて星』とは真逆に、マックスが言うところの「へばりついて生きる地面」に心底戻りたいと思わせてくれる映画が『ゼロ・グラビティ』だ。
 宇宙飛行士が宇宙空間でトラブルに巻き込まれ地球に帰還するまでを描く。この映画の凄さは圧倒的な臨場感で宇宙というものを疑似体験させてくれることに尽きる。話はいたってシンプルながらも評価されている理由はその見世物としての映画という点だ。
 映画が発明されたころ、映画は見世物だった。「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟が制作した『ラ・シオタ駅への列車の到着』という五十秒ほどの映画は、観客に向ってくる列車のシーンに、それまで映像というものに慣れていない観客を大いに驚かせた。
 『ゼロ・グラビティ』は最新の技術を駆使し、リュミエール兄弟の時代と同じように映画に観客が驚愕したのだ。
映画から驚きが薄れつつあった近年、見世物として原点に回帰した映画であり、今年のアカデミー賞でも七部門を受賞した。
 映画では無重力状態が人間にとっていかに不便極まりない状態であるかを思い知らされるが、だからこそ地上に降り立った主人公が大地を踏みしめるラストに安堵と感動を憶える。

 群馬県の山村から帰ってきた僕が「やっぱり我が家が一番だね」と言ったことを思い出させてくれた素晴らしい映画である。


『天の光はすべて星 新装版』
フレドリック・ブラウン/著 田中融二/訳
ハヤカワ文庫 842円 ISBN:978-4-15-011679-8

『ゼロ・グラビティ』
2013年 アメリカ/イギリス
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー

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