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そのまた前のあらすじ(プロフィール)

目を留めて下さったことに感謝致します。

1996年からこんな音楽活動してきた鍵盤アーティストです。(「ピアニスト」とも微妙に違う気がしてこの名付けに至ってます。)

そんな私が、2021年春から 抽象画 を習ってます。

私が人生前半期で「絵」に関わってた時期は、主に以下の2期のみです。

■4~6歳
人見知りで幼稚園には年長しか行かず、1人黙々と毎日お絵描き。用紙は、折込広告の裏→わら半紙の裏表→スケッチブック···と移行(全てファイルで保管)。 文を書くのも当時から好きで、幼稚園時夏休みの出来事を1冊絵日記にしたためたのがコレ。↓

当記事に関係ありそうなページを1つ···。
絵と同じピアノの譜面台に置いて撮ってます。

■小学校時代
小2の時、自作物語で絵本を何冊も自主的に作り賞状をもらう。···が、学年が進むごとに絵からは遠のき、4歳から習ってたピアノがメインの生活になっていく。

···あ、1つ思い出しました。小6の時、その年度卒業生はレンガ作り立方体のタイムカプセルを校庭に作ることに。で、レリーフのように彫る四面用の図案、学年で私の選ばれました。(まだあるかなぁ、あのタイムカプセル···。)

あとクラスメートのサイン帳に1人1人の似顔絵描いて喜ばれてました

そういえば···親戚に美術関係者2人(叔父と従妹/両方父方)います。(書いてると色々思い出しますね。笑)

ピアノが嫌いだったわけではないですが、今思うと「母がやりたかったのにできなかった 代わりに やらせてる感」を子供心に感じており、無意識の反発心がどうしても拭えなかった···かな。

···なら自力で別の道に進めば良かったですが、それも言い出せないくらい無言の圧力?的雰囲気が漂ってたし、習わされる環境自体も「ここまでされたらその方面行くしかないだろう」的なものでした。(「良かれと思って」の教育だったことは重々承知で書いてます。実際、今は感謝してます。)

追いうちをかけるように技術至上主義の音大ピアノ師匠のスパルタ指導を受け、弾くことが「指のスポーツ」化。ついに「堪忍袋の緒」が切れ、卒業と同時にピアノと絶縁。(在学中のピアノの成績自体は良かったんですけどね。笑 )

全くの異業種に腰掛けるも1年で辞め、フリーターを経て渡米&渡欧。

アメリカ、ヨーロッパをドサ回り(?)しながら クラシック以外 の音楽活動を シンセサイザーで 1年経験。そこで 今のユニットの相棒(スイス出身) と出会ってます。

帰国後もあと少し紆余曲折ありましたが、1992年にはピアノからの逃亡?(計5年くらい)も気が済んだのか(笑)音楽畑に戻り、1996年から この活動 ···と、ざっと駆け足ですがこんな感じです。(※ リンク先は全て同じです。)

この「出戻り」後の活動により、ようやく母やスパルタ師匠からの毒素?部分のみを濾過して削ぎ落とし(いわゆるデトックス?)、「自分ならではのピアノ」を取り戻し、音楽家としてタイプの違う相棒からの刺激や影響も受け、「真の演奏表現の悦び」を実感するようになりました。

···のに···

まだあと薄紙1枚分くらい 視界がピンボケのまま だったんですねぇ···(伝わるかな? 笑 )···。思えば視界どころか自分の身体の輪郭までずっとピンボケだった気がします。

それが、2020年母他界後しばらくして、気付けばピンボケ解消。生まれて初めての気分でした。それくらい母のオーラは私にとって強烈だったってことです。

···したらムクムク「あれ?そういえばよくお絵描きしてたのになぜ今してない?」と···。

その後のことは、まずは コチラ↓ をご覧下さい。

↑既にご覧下さった方はありがとうございます。

今後も リアルドラマ続編?の展開 を楽しみにしていただければ幸いです。

皆さんの記事も拝読したいので、ぜひ足跡を残して行って下さいね!

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