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23歳の愛猫へ

いつ頃だろうか、
同じ目線の高さまで登れなくなったのは。
いつ頃だろうか、
ソファーの上にさえジャンプしなくなったのは。

当たり前のことだけど、目尻の皺が、ある日突然にはできないのと同じように、愛猫が年をとっていく過程を日々感じとりながら過ごすことは難しい

得てして、ふと何かの拍子にその違和感に気がつくものだ。そうなると、あれもしなくなった、これもできなくなったと気がつくことがあふれてくる。

焦って愛おしいその顔を両手で包み見つめてみる。かつてのキラキラしていた瞳は薄暗く、張りのあった毛並みは細くなり、不揃いの髭は自信なさげだ。

とはいえ、それもしょうがない、なぜなら我が家の愛猫は2000年の10月29日生まれ、23才のお誕生日を向かえた老猫なのだから。

人間でいえば、御年120才くらいか?昔よくご長寿としてテレビに出ていた泉重千代さんに匹敵するくらいになる。

子猫の頃から、人間の子ども同様に、いやそれ以上に愛情をそそぎ、蝶よ花よで育ててきた。若い頃は気位が高く家族以外に懐かず、猫をも寄りつけないくらい気難しい猫だった。

それが、俊敏に動けなくなり、目が見えにくくなり、歯などもろくなってくると、徐々に行動範囲が狭くなっていった。行動の断捨離なのか、それまでしていたことを諦めたり諦めざる負えなかったり。

そんな状況は、猫だけなく私自身にも言えることで、「あ~一緒だね、つらいね」何て言いながら、からだに負担をかけないよう力をぬいて抱きかかえる。

「ごめんね、早く気づいてあげられなくて」と、たとえ時間が戻ったとしても、結果はそんなに変わらないだろう過去を悔んだりして。

家族の誰よりも長い人生をともにしてきた同志として、最近よく思う。
「年老いた猫を心配している自分ではなく、私のことが心配で長生きしてくれているのではないか」と。

無理をさせていたらごめんね。でも、もう少しもう少し一緒にいたいよ。


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