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文章の神様

講談社ミモレ編集部の「WEB文章術」という記事で、「こと」を追放せよというのがあり、懐かしいと思った。これは、内藤国夫が『私ならこう書く』で書いていた。

ミモレ編集部のその前の記事では、接続助詞「が」を避けろ、というのもあった。これは、清水幾太郎が『論文の書き方』で書いていた。

こういう文章術にも、「最初に言った人」がいる。しかも(少なくとも業界的には)有名な話だったと思うが。もう忘れられているのだろう。

40年前なら、上記2冊に加え、本多勝一の『日本語の作文技術』を読んでおけば、就職試験の作文対策はバッチリだった。

私もこれらの本で作文を学んだ、ここ(note)ではそのルールに従っていない。(今も、「が」を使った)

上記の本が教える作文術は、口語(おしゃべり)と区別された、いわゆる文語のためのものだ。

上記3冊を書いた人たちの関心は、「限られたスペースの中でいかに多くの情報を伝えるか」ということだった。(今、「こと」を使った)

それは、活字時代は、「スペース」のコストが高かったからだ。出版物の最大のコストは面積に限りがある「紙」代だし、究極には活字1文字いくらの値段がついていた。

だから、新聞記者の最初の訓練は、「いかに文章を削るか」だった。ほとんどそればかりやらされる。絞れない雑巾はない、と同じ根性論で、削れない文章はない、と叩き込まれる。上記の本が教える作文術も、要するに文を短くする方法である。

私もプロの時は「こと」や「が」を削った。

しかし、ネットでは仕事で書いているわけではない。おしゃべりだ。おしゃべりが楽しいから書いているだけだから、作文ルールは無視する。おしゃべりが冗長、冗漫になるのは当たり前だ。内容より、しゃべる快楽を優先させているのだから。

noteが、1回15字6行で書いてください、とか、1字いくら払ってください、とか、もっと読者を意識して、とか言い始めたら、楽しくないからやめます。

しかし、改めて思ったが、かつて文章の神様のように思われた、内藤国夫、本多勝一、清水幾太郎、みんな忘れられているね。しかも、ちょっと悲劇的な忘れられ方だ。

毎日新聞の内藤国夫、朝日新聞の本多勝一は、両新聞を代表する名記者と言われた。

しかし、内藤国夫は、創価学会の池田会長のスキャンダルを書いたことで、創価学会と仲がいい毎日新聞から事実上追放された(内藤自身が『愛すればこそ 新聞記者をやめた日』に詳しく書いている)。その後はフリーになり、文春の堤堯編集長などに重用されたが、なんとなくパッとしないまま亡くなった。

本多勝一はまさに一世を風靡し、そのルポが国語の教科書に載るくらいだったが、いつしか左翼偏向記者の代表のように言われ出し、今はほとんど言及されない。まだ存命ではあるが、現在の状況はーー5年ほど前に噂は聞いたが、いくらおしゃべりでも差し障りがあるかもしれないので、書かない。

清水幾太郎は、戦後の代表的「オピニオンリーダー」(死語)だった。しかしその後、急速に忘れられた(竹内洋の『清水幾太郎の覇権と忘却』に詳しい)。進歩的文化人の一人だったが、1980年の『核の選択』で論壇に衝撃を与えた。が、これもその後はパッとせず亡くなっている。

かつて名文家と言われた作家を思い浮かべても、その名声が長続きした例は少ないように思う。

名文家と呼ばれないように注意しよう。

だいたい、名文家とか言われたら、意識しちゃって、自由に楽しく書くことができなくなるではないか。

特にネットでは、ルールに縛られず、楽しく書くのが一番だ。





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