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野党に求められていること 忘れないでね「経済」だからね

「社会」という概念はもともと日本にはなく、societyの翻訳語として明治時代に作られた、というのは有名な話だろう。

だから、「社会問題」や「社会主義」という言葉も、「社会」という言葉ができてから、初めて日本に定着していくことになる。

この「社会問題」「社会主義」という言葉が本来持っていた意味が、現在失われている。そのことに気づいている人は少ないかもしれない。

いま「社会問題」といえば、いじめ問題だとか、新幹線の安全問題とか、新聞社でいえば「社会部」が取り上げるような、街ダネ、犯罪や治安の問題を思い浮かべるだろう。

しかし、「社会問題」とは、本来は「経済部」の問題だった。

明治時代の社会主義運動の起源を解説する本のなかで、以下のように述べられている。

<引用始め>

まず、「社会問題」は、「経済」の問題として認識された。そして、この「経済」の問題の主内容は「貧富の懸隔」として捉えられた。さらに「貧富の懸隔」の原因は「分配の不公平」にあるとされた。このように「社会問題」は「経済の領域」における「分配の不公平」から生じる「貧富の懸隔」として理解されたのである。(山泉進「社会主義事始」p289)

<引用終わり>

この「貧富の懸隔」は、今なら「経済格差」と言われるだろう。それまで「貧民問題」と呼ばれていた事項が、「社会」という言葉ができてから、「社会問題」と言い換えられるようになったのである。

そして、この「社会問題」を解決するのが「社会主義」だと考えられたのである。

日本の戦後政治において、ずっと野党の役割を担ったのは、「社会党」であった。この「社会」という言葉に、格差問題を解決するという意味があることを、人々は当然のように理解し、期待していたはずである。

しかし、社会党が崩壊し、民主党、民進党、立憲民主党、などと名前をかえるうちに、この「社会」の含意が、日本の野党から抜けていった。

それはそのまま、社会主義の変質、「左翼」の変質、を意味するわけだが、そういう大問題は、ここでは脇に置いておこう。

たとえば辻元清美は、社会党から出発し、野党第一党の副代表まで出世したが、国会で「格差解消」をソーリに迫っただろうか。

それよりも、「ソーリは嘘つき」とか、そういう学級会的な追及ばかりしてきたのだ。

「なんでも反対」だから野党は嫌われると言われる。しかし、人々が苛立っているのは、本来追求してほしいことを追求しなくなったからではないか。

「野党」「左翼」が、経済問題を論じなくなり、「差別」「生きがたさ」みたいな道徳問題(あるいは文学的問題?)ばかりを言うようなったのは、世界的傾向である。それに対する不満も増大している。背景にはもちろん、世界的な社会主義の退潮で、左翼が経済問題に自信を失ったことがある。(それでも、バーニー・サンダースみたいに格差問題にこだわり続ける人は、ずっと一定の支持を得ていると思う)

政治に対する民衆の期待は変わっていない。「差別」のような人権問題は普遍的で、それこそ超党派で解決すべき問題だ。資本主義国の「野党」に期待しているのは、相変わらず、「社会問題」、つまり、いまここにある経済的格差の緩和・解消なのである。

立憲民主党の代表選の前に、このことだけはしっかり確認してほしい。


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