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朝日新聞記者の自殺、DAPPI、朝日の密約と「沈黙の自由」

10月6日、朝日新聞経済部キャップ(男性、33歳)が自殺した。昨日の週刊文春オンラインが報じている。

自殺直前にツイッターで、「紙面に意図的にのせて、権力者のご機嫌を取ってもたらされる情報って、本当に読者が求めているものなのか」などと投稿していた。

その後、上司である経済部部長が更迭されたところをみると、「権力者のご機嫌を取る」記事を載せるか載せないかで、自殺した記者と部長との間に争いがあったようだ。

15年前の朝日新聞記者(論説委員)の自殺を思い出した人も多いだろう。リクルート事件をスクープした有名記者だった(享年48)。

あの時は、りそな銀行の自民党への不審な融資をスクープしたばかりだったので、他殺説も出た。(自殺だとしても遺書は発表されなかったので真相は不明)

今回は自殺であるのは間違いないのだろう。いかにも真面目で優秀な人のようで、残念なことだ。

それにしても気になるのは、権力者云々の「遺言」だ。

選挙前に、「dappi」なる人物のツイッターが、自民党の世論誘導用のアカウントではないかと話題になった。野党を叩いたり、自民党の保守系議員を讃えるような内容のツイートが多かったからだ。

事実はわからないが、そういうことがあってもおかしくない。自民党だけでなく、他党もやっていておかしくないし、いかにも新左翼や新右翼の党派がやっているっぽいアカウントはたくさんある。

しかし、本当の権力の情報戦は、そうあからさまなものでなく、もっと巧妙に情報を操作するものである。

朝日新聞も、昔は「dappi」のようなもので、政府の情報操作に加担していた。

1882(明治15)年から1894(明治27)年まで、朝日は政府から巨額の機密費を受け取っていた。その資金が助けとなり、朝日新聞は、経営不振の大阪の「小新聞(娯楽中心の大衆紙)」から、東京でも発行される「大新聞(政治経済も論じる高級紙)」に脱皮し、日本最大の全国紙になった。

これは別に「陰謀論」ではなく、成城大学教授だった有山輝雄氏(メディア史)が関係者の文書史料から証明した歴史的事実だ(有山「中立新聞の形成」世界思想社)。

朝日の社史(「90年史」)でも、政府から援助を受けたことは書かれている。しかし、「なぜ援助を受けたのか、わからない」としているそうだ。

なぜ政府が朝日にカネを払ったかといえば、もちろん政府の味方をしてもらうためだ。「援助」が始まった明治15年は自由民権運動の最盛期で、反政府新聞の言論がうるさかった。政府のための新聞が必要だったのだ。

当時、政府に一番近かったのは東京日日新聞(のちの毎日新聞)だったが、すでに「御用新聞」の定評があったので、味方をされても効果はないと見た。そこで政府が目をつけたのが、大阪で経営不信に陥っていた朝日新聞だった。

有山が「中立新聞の成立」で論証しているのは、政府にとって都合のいい新聞とは、あからさまに政府側につく「御用新聞」ではなく、普段は「中立」を看板にして、いざという時に助けてくれる新聞だ、ということだ。

政府と密約を結んだ朝日新聞は、まさにそのような「中立新聞」として政府に育てられた。

当時の政府の言論政策文書に出てくる、印象的な言葉が「沈黙の自由」だ。

「半官新聞ハ、政府ヨリ補助金ヲ与ヘ、社説ニ於テ、政府ノ政令ニ異見ヲ抱クトキハ、沈黙ノ自由ヲ得ルコトヲ許ス」(井上毅「人心教導意見案」)

つまり、「中立」を装わせるために、政府と意見が違う場合は、あえて賛成しなくてもよい、「沈黙」する自由を許す、ということだ。

「報道しない自由」とは、マスコミの偏向を指してよく言われるが、このように、もともとは明治政府がマスコミに「与えた」自由だった。

この「密約」を知っているのは、伊藤博文など政府首脳と、朝日の村山龍平・上野理一両社主、取引を仲介した三井の幹部、その他ごくわずかの人間だけだった。読者はもちろん、ほとんどの社員も朝日新聞の「公正中立」を文字通りに信じていただろう。

その後、自由民権運動が沈静化したのちに、朝日新聞と政府との「密約」は解消される。

現在のマスコミと政治権力の間に「密約」があるかどうかは分からない。

経営が苦しくなったら、なおさら明治時代と同じようなことが起こりうる、とだけ言っておこう。

ただ、「首脳レベル」の密約は別として、もっと低いレベルでの権力との取引は、取材現場で起こっているだろう。

そうした取引から「スクープ」を引き出すこともあるだろうし、どこかでその借りを返すことがあるだろう。

そんなメディアと権力のせめぎ合いの一端を想像させる事件だった。

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