神奈川の「多様性教育」にモノ申す 子供を「聖人」に育てるな
「リスペクト」の意味が違くね?
いや、そんな大層なことを言いたいわけではないですが。
私は神奈川県の川崎市に住んでいますが、うちの近所を散歩してたら、たまたま、小学校の校長先生の文章が目についたわけです。
学校の前に、往来に向かって掲示してあるから、みんなに読んでほしいということでしょう。
「リスペクトでつながろう」というタイトルの文章です。
リスペクトでつながろう
「自分とは違う。だから相手を無視する。攻撃する。そうじゃない。本当は自分と違うからこそ、その相手をリスペクトできる。そして自分もまた。誰かからリスペクトしてもらえる。これこそが一人ひとりの個性を大切にしながら『ともに生きる社会』を実現していく方法だと信じて。私たちから神奈川から始めます。」
これは、「ともに生きる社会かながわ憲章」の冒頭の知事の言葉です。11月20日は、「川崎市 子ども権利の日」です。人権尊重教育を通して、自分の大切さと共に、他の人の大切さを認めることができるような態度を行動力を育てていく(中略)「ともに生きる社会」の実現に向け、互いの個性や多様性を認め、尊重しあう子どもたちであふれる〇〇小を目指します。
いや、校長先生、ご苦労さんです。
言いたいことはわかるんですけどね。
でも悪いけど、まず私は、引用されている「知事の言葉」に、ちょっとオエッとなりましたね。
朝日新聞記者が書いたかと思うようなドリーミングで陶酔的な文章。気持ち悪い「。」の使い方とか。子供を「子ども」と書く偽善的用語法とか。
朝日的特徴が随所にある。実際、朝日のやつが原稿を書いたのかもしれない。いまの知事はたしかフジの出身だけど、神奈川は朝日新聞の金城湯池だからね。(朝日に媚びないと選挙で勝てない)
サヨク臭以前に、なんか間違ったことを言っている。
おい、知事さん、あなたは本当に、「自分と違うからこそ、リスペクトできる」と思ったことが人生の中で1度でもあるのか、と。
私は知事とだいたい同じくらい生きているが、そんなことは1度もなかったぞ。
「相手が優れているからリスペクトする」ことは無数にあるけどな。「違うからリスペクトする」なんてことはない。リスペクトって言葉の意味が、知事と私で違うのか。
「自分と違うから攻撃する」なんてことも、動物でもないしね。まず警戒するんですよ。
(人格の尊厳、人権は、無根拠、無理由で存在するので、「違い」が理由でそれがあるように言うのは人権理論上もおかしい)
こういう「憲章」にもとづいておこなれる「人権教育」「多様性教育」が、私は心配で仕方がないわけです。
「リスペクト」より「プライド」を
すべての人に尊厳(人権)がある。すべての国に尊厳(主権)があるのと同じように。
それを侵してはならない、というのを第一に教えるのが「多様性教育」であるべきだと私は思うわけです。
それは必ずしも、すべての人と仲が良くなれるということではない。無理に「つながる」必要もない。まして、すべての人と「リスペクト」しあえる関係になれるはずがない。
むしろ逆で、みんなが自分の尊厳をかけて、戦っているんですよ。
その戦いのなかで、尊厳はたえず侵される危険がある。それが世界の実相なわけです。大人はみんな、知ってるはずでしょう。
その現実社会で生き延びていけるように、子供を育ててほしい。
だから、教えるべきは、「リスペクト」ではなくて、「プライド」です。
「自分もまた。誰かからリスペクトしてもらえる」って、「リスペクト」なんてものを進んで求める虚栄心は、子供に持ってほしくないね。
まあ、この知事が、そういう見栄っ張りな人生を送ってきたということかもしれないけれど、リスペクトできないな。そんな大人になってほしくない。誰からもリスペクトされなくても、あなたにはあなたの価値があります。
リスペクトされないと、他者と「つながれ」ないのか。そうなっちゃうから、「リスペクトでつながろう」というスローガンは、まずいんですよ、校長先生。
まず、
「自分の尊厳が侵されたら戦え」
でしょう。「仲良く」の前に。
その後に、
「自分がやられたら嫌なことを相手にしてはいけないから、相手の尊厳も侵すな」
と教えるのがいい。
それが正しい「人権」「多様性」の教え方だと思うし、国際社会の常識だと思うし、「人権」「多様性」なんて言葉がない時代から、さまざまな言葉で親が子供に教育してきたことだと思います。
そしてそれは、「それを知っていると子供がみんなと仲良くなれるから」というより、「それを知らないと子供がみんなからひどい目にあうから」だと思いますよ。
その尊厳を侵したら怖いぞ、と思わせるような子供、に育てなければならない。
尊厳がないからそいつに何をしても怖くない、と思わせるような子供にだけはなってほしくないでしょう。
スローガン風に言うなら、
「リスペクトでつながろう」
ではなく、
「プライドをもとう(つながるなら、そのあと)」
だな。孤立を恐れて大衆に同調する子供を作ってはいけません。
現実を教えてほしい
「ともに生きる」「仲良く」というのは、治者、管理者の発想ですね。問題を起こしてほしくない、ということでしょう。
封建制のイデオロギーに近く、自由社会の思想ではない。
あるいは朝日新聞的「平和主義」ですかね。憲法9条ですかね。どうしてもそう連想してしまうわけですね。
「世界平和」はあくまで理想だ。「みんながリスペクトしあう社会」と同じ。目指していくべきだけど、現実はそうではない。
「侵されたら、タダでは済まさん」
の倫理、というか脅しで、平和と人権が保たれているのが現実の国際社会であり、我々の人間関係なわけです。
脅しと言っちゃうと言葉が悪いけど、他人に尊厳を侵させない防衛力も「人格」のうちだと思うんです。
その「人格力」には、国籍も肌の色も関係ない。プライドを持った人格どうしが「尊重」(存在を認めるということで、必ずしも「リスペクト」でなくていい)しあう。そういう社会でいい。
現実を無視して、子供にドリーミングでイマジンな世界に生きてほしいんですかね。
教育における、あるべき倫理観が、朝日新聞的価値観で混濁していますね。
神奈川県は、「平和主義」の憲法9条精神で、いじめられても反撃しない、非暴力無抵抗主義の「聖人」を、育てようとしているんですかね。
うちの子が、「みんな仲良くできるはずだ」、という平和主義者になって、防衛力がなければ、いじめっ子のいいカモになってしまう。それも国際社会と同じだ。
私には子供がいないけれど、まあそういうところに子供を預けるのは、ちょっとごめんかな。
私だったら、神奈川県の学校に預けるより、ゆたぼんパパに預ける。(というのは冗談)
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