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三島由紀夫文学館はなぜ変なゲストばかり呼ぶのか

ひところよく行っていたからか、山梨県山中湖の三島由紀夫文学館から、時々講演会の案内が届く。

最近届いたものを見ると、10月に平野啓一郎が講演するから来いという。

げえっ! あんな朝日毎日岩波ご用達の左翼リベラル野郎が、なして三島由紀夫文学館で講演するだ。三島の霊は怒らないのか。

新潮社が「第二の三島」みたいに売り出したせいか、平野啓一郎という人はよく三島関連の企画に顔を出すが、不快なだけだ。この人が出ていると私は見ない。

これまでも三島由紀夫文学館の人選はおかしかった。

少し前は宮本亜門が呼ばれていた。三島原作のオペラを演出したとかで。

その前は猪瀬直樹だった。

おかしいだろう。

ちゃんと右翼を呼べ、と言いたい。職業的右翼、政治的右翼ではなく、魂の右翼を。憲法改正論者であることが最低条件だ。なんでそんな中途半端な「リベラル」ばかり呼ぶんだ。

猪瀬の『ペルソナ』は、面白い本だが、三島への畏敬はない。知的に乗り越えるべき存在、と捉えているだけだ。

猪瀬直樹ではなく、生前の石原慎太郎だったら、もちろん納得したが。

思うに、むしろ右翼イメージを避けるために、そういう人たちばかりを呼ぶのだろう。

三島由紀夫文学館の運営には、山中湖村教育委員会が関わっている。

しかも、三島由紀夫文学館の隣には、徳富蘇峰記念館がある。

三島と蘇峰、どちらも右翼イメージがある。

山中湖が右翼の聖地みたいに思われると、教育委員会としても、観光地の自治体としても、困るのだ。

それで、軟弱な企画ばかりになる。

しかし、戦後の思想空間の中で、「キチガイ右翼」のように思われてしまった三島と蘇峰の名誉回復こそ、これらの施設の使命ではないのか。

蘇峰はともかく、三島は、世界的に知られている数少ない日本作家の1人だ。外国人客も見込める。もっと頑張って欲しい。

私がひところ山中湖によく行っていたのは、三島も蘇峰も好きだからだ。

三島文学館と蘇峰記念館が並ぶこの地(山中湖文学の森)は、私のための文化村のように思っていた。どちらの建物もきれいで、展示物も良かった。あのあたりは風光明媚だから、時には泊りがけで行くこともあった。

ここに蘇峰の記念館があるのは、蘇峰が晩年、山中湖畔に住んだからである。三島と山中湖に直接の関係はない。三島(平岡)家が資料の寄贈先を探していた時、山中湖村が手を挙げたのだろう。

だから、ここに三島と蘇峰が並んでいるのは偶然だ。生前の三島と蘇峰も、直接の交渉はなかったと思われる。戦前、特に明治・大正期は編集者として文学とも関わりが深かった蘇峰だが、戦後は文壇と没交渉だった。世代もまるで違い、三島にとって蘇峰は「大昔の著述家」くらいの印象ではなかったか。

しかし、死後に山中湖で、偶然縁ができたのだから、山中湖村は、三島と蘇峰の両方の面目を一新させるような企画を考えるべきではないだろうか。

例えば、三島も蘇峰も、熊本神風連に関心が深かった。

蘇峰の「近世日本国民史」100巻の中で、「神風連の乱」の巻は白眉といえる(第94巻、講談社学術文庫版「西南の役(二)」)。蘇峰の故郷・熊本で起こった、この神がかった旧士族の反乱は、開明派だった蘇峰とは思想的に対立するにも関わらず、その精神の純粋さに共感を込めて蘇峰は綴っていて、感動的だ。

そして、三島が晩年に心を寄せていたのも、神風連の乱だった。その熊本取材のことは、熊本在住の「恋人」だった福島次郎も書いている。直接にはその取材は「奔馬」(「豊饒の海」第二部)に生かされるが、神風連の精神は、彼の最後の行動にも影響しているだろう。

だから、三島文学館と蘇峰記念館の共同で、「蘇峰と三島と神風連 右翼テロの精神」みたいな企画をやってほしい。

2人とも、自分なりの流儀で、「自分こそ日本一の愛国者」と思っていた。そして、右翼とはいえ、三島も蘇峰も、昭和天皇が嫌い、ないし批判的だった。

この2人には、軟弱な左翼リベラル野郎などが近づいてこない企画こそがふさわしいのだ。






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